嵐のなかでたたかいを前進させている
スペインを再び訪ねて
「歴史の記憶に関する法律」のその後と
日本国憲法9条の碑を見る
吉 田 好 一
治安維持法国賠同盟と共催で
私は、本誌「治安維持法と現代」二〇〇八年秋季号に「反ファシズムの集大成 スペイン『歴史の記憶に関する法律」と題する文章を掲載させていただいた。そのなかで、「歴史の記憶に関する法律」(以下、「記憶法」と略)の内容や成立した経過について簡単に書いた(注参照)。
この法律を知ったのは、国連拷問禁止委員であるスペインのマリーニョ・メネンデスさん(カルロスⅢ世大学教授)を通してであった。
二〇〇七年五月、拷問禁止条約第一回日本政府報告書蜜査については、本誌二〇〇七年秋季号に、国際人権活動日本委員会など四団体の「意見」が、二〇〇八年秋季号には、拷問禁止委貝会の「結論と勧告」が掲載されている。改めて本誌編集部のご努力に敬意を表したい。
本文は「記憶法」のだたかいが、その後どうなっているのか、二〇〇九年四月{国際人権活動日本委員会主催}と今年六月一一六日から七月三日まで、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟との共催によるツアーが企画され、二四名が参加した。その内容をお伝えしたい。
「記憶法」の専門家お二人と意見交流会
六月―八日、マドリッドで、一一年前に訪問したときにお匪話になったメネンデスさんと、同僚で「記憶法」の専門家であるラファエル・エスクデロ教授のお二人と意見交流会(下の写真)が行われた。

最初に私から「フランコの内戦・独裁時代における犠牲者の名誉回復のための『記憶法』は日本でも関心が高い。日本の歴代政府は侵略と植民地支配、国内外の弾圧を反省していない。こういう法律をぜひ日本でもつくりたい。東日本大震災での福島第一原発事故は放射能を世界に撒き散らしている。広島・長崎で被爆国となった日本が、いま加害国になっている。原発をなくし、スペインでも進んでいる自然子不ルギーによる発電についても学びたい」と発言しました
メネンデス教授は「ふたたびお会いできて非常に嬉しい。国連の拷問禁止委員をしている。国運に訴えにきた布川事件が無罪を勝ち取った報告は大変うれしく感じている。三月の大震災にお見舞い申し上げる。スペインには八か所の原発があり、サパテロ社会党政権は閉める計画はないが、新しく作る計画もない。ここ数年太陽パネル、風力発電などが急激に伸びている。フランコによる犠牲者の骨を子孫に返す、先祖の名誉を回復するのは非常に難しい」と述べた。
エスクデロ教授は「一九三六年以来フランコにより一四万四千人が合同墓地に葬られている。「記憶法」は政党ではなく市民団体で問題にし社会党が支持して出来た。国民党(右派)は『昔の傷を広げる』と反対している。次回の総選挙でサパテロ政権が負ければ『記憶法』がなくなるかもしれない。フランコ主義の思想は根強く残っている。特に警察や車隊の中に。フランコの墓も残っている。教科書に共和同政府のことが書かれていない」など、「記憶法」に基づくたたかいの前進が、逆流に抗して厳しいものになっていると話された。
ゲルニカ、グランカナリア島に分かれて
代衣団は二九日よりAコース(一三名)、Bコース(九名)の二つに分かれた。
Aコースはスペイン最古の大学の街サラマンカの「歴史の記憶法資料館」を見学。七月一日にはパブロ・ピカソの壁画で有名なゲルニカヘ。一九三七年四月二六日、フランコはヒトラーなどの力を借りて広島・長崎へっながるゲルニカヘの無差別爆撃を行った。ゲルニカ平和博物館(本誌[日本と世界の戦争博物館]参照)を見学し、空爆の被害者である八八歳のルイス・イリオンドさんの体験を聞いた。
私は、1年前のツアーで、四月二六日にゲルニカに行き、追悼式典に参加した。フランコは「爆撃はアカがやった」と宣伝し、フランコが死ぬまでイリオンドさんもそう思っていたという。
Bコースは、マドリッドから1000キロ離れたカナリア諸島のグランカナリア島を訪れた。グランカナリア島で二番目に大きい街、テルデ市を訪問し、市職員の案内で「ヒロシマ・ナガサキ広場」を訪れ、日本国憲法九条がスペイン語で書かれている碑を見学した。日本でもこうした碑はないのではないかと思う。この碑ができたいきさつは、テルデ市がNATO加盟と軍事基地設立に反対し「非核宣言」を行ったたたかいのときに、非核と平和を求める市民のあいだで日本の憲法が話題になり、一九九六年に広場(ヒロシマ・ナガサキ広場)と九条の碑が建設されたということだ。

日本国憲法9条の碑の前で
スペイン法律家たちと日本人との取組みが
また、グランカナリア島では、ラスパルマス大学のカルメロ・ペレス教授(二年前にも『記憶法』に関ったメンバーということでお会いしている)のお世話で、平和・人権の活動をしているNGO八団体との意見交流会を持つことができた。
ベレス教授は「カナリア諸島にも市民戦争時の三〇〇〇人の遺体が埋められている。『記憶法』の条文は不十分で、日本の憲法のような明確な規定がほしい。スペイン政府の対応も不ト分である」と語り、平和への権利国連宣言をつくるためにスペイン国際人権法協会(ベレスさんはこの協会の事務局長)が日本の学者・法律家とも協力していることを話された。「平和への権利宣言」は、日本国憲法九条だけでなく、憲法前文の平和的生存権を高く評価し、それを盛り込んだ国運宣言をするよう人権理事会への取り組みを行っている。
ペレス教授から日本の書籍のカバー・をコピーしたチラシを渡された。「平和への権利を世界に」(かもがわ出版)笹本潤(弁護士、国際民主法律家協会事務岫長)・前田朗(国際人権活動日本委員会、東京造形大学教授)編著の本である。お二人ともジュネーブで活躍している。八月の人権理事会諮問委員会の前に、ジュネーブで「人民の平和に関する専門家協議会」を開催し、笹本さん、前田さんと塩川頼男さんが事務局を担当したということである。諮問委員会では、前田さんと笹本さんが、このテーマで発言した。
また、今年の一二月には、「平和への権利を世界に」国連宜言の実施をめざす運動の一環として、スペイン国際人権法協会の会長、事務局長が来日する予定である。
「記憶法」は真実を探求するたたかい
参加したNGOはフ牛和と人権カナリア諸島文化区域の会」「パレスチナ人社会のための女性の会」「難民援助のためのスペイン委員会」「歴史の記憶の会」「『私は女性』の会」など八団体九人で、それぞれの活動の紹介があった。最初に発言した「歴史の記憶の会」のイサベルさんは、「父親が市民戦争で処刑された。テルデの火山の火口に共産党員の遺体が放り込まれた。「記憶法」では遺体を掘り出す許可がでない。行方不明者のリストが不十分である。『歴史の記憶法』のたたかいは真実を探求するたたかいである」と非常に感動的な発言をした。カルメンさんは、父親が社会党・人民戦線に関与し、二〇年の実刑を受けた。自分もフランコ政権に迫害され、四○年前にカナリア諸島に逃げてきた。バスケスさんも弾圧された家族だ。叔父さんは迫害されフランスヘ亡命したが、フランスもナチスの占領下でドイツの捕虜となった。現在も帰国していない。バスケスさん自身は一九五七年に非合法下の共産党員になり、一九七〇年デンマークに亡命。フランコが死亡してからスペインに戻ることができた。
続くNGOの方々の発言も「記憶法」にもとづくたたかいが、いかに困難なものかを語ってくれた。司法も保守的であると。しかし、「記憶法」は無駄、無効ではない、という力強い発言が最後にあった。
近代史の苦しみの中から
『記憶法』に関する二度のツアーで感じたことはこの法律がスペインの近代史の苫しみの中から生まれたものであり、一般市民の力で誕生させるまでは難産だったと聞いている。野党国民党はもとより、この法律を成立させた社会党の中にも「過去の問題を掘り返さなくても」という意見があったりする。次の総選挙でサパテロ社会党政権が倒れればづ記憶法』もどうなるかわからないという心配も聞く。法律に不ト分な点があるとはいえ、治安維持法や横浜~件やレッドーパージなどの大弾圧や侵略と植民地支配について明確な反省も謝罪も補償もない日本にくらべれば『記憶法』を誕生させたスペインの社会は立派である。フランコ派の残党や右翼、保守勢力からはげしい攻撃を受けている中で、『記憶法』の精神をけハ体化し、前進させようとたたかっている学費、弁護士、NGOの活動家と交流できたことは非常に有意義であった。
「日本でも『記憶法』を」という思いを強くし、これからも引き続き「記憶法」を学び、研究していきたい。
(よしだ こういち・国際人権活動日本委員会代表委員)
(注)
歴史の記憶に関する法律
スペインでは、一九三六年に選挙で成立した民主主義的な共和政府を打倒するために、ファシストのフランコ将軍が、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニの力を借りて反乱軍を蜂起させ、一九三九年に終結するまで内戦状態となり、以後一九七五年にフランコが死去するまでので六年間、独裁体制が続いた。この法律は、スペイン内戦や独裁体制の間に、政治的・思想的な理由により迫害された人に対し、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復をする権利を認め、犠牲者、遺族に年金・賠償金を国が支給。犠牲者の発見、遺体の発掘を国が支援するとしている。スペイン内戦に共和政府側の義勇兵として参加した外国人にもスペイン国籍取得の権利を認め、その場合、賠償などが適用される。独裁政権を賛美する公共の記念物の撤去、資料センター設置などを定めている。

絵手紙 (「不屈」和歌山版 2011年5月15日号より)
スペインを再び訪ねて
「歴史の記憶に関する法律」のその後と
日本国憲法9条の碑を見る
吉 田 好 一
治安維持法国賠同盟と共催で
私は、本誌「治安維持法と現代」二〇〇八年秋季号に「反ファシズムの集大成 スペイン『歴史の記憶に関する法律」と題する文章を掲載させていただいた。そのなかで、「歴史の記憶に関する法律」(以下、「記憶法」と略)の内容や成立した経過について簡単に書いた(注参照)。
この法律を知ったのは、国連拷問禁止委員であるスペインのマリーニョ・メネンデスさん(カルロスⅢ世大学教授)を通してであった。
二〇〇七年五月、拷問禁止条約第一回日本政府報告書蜜査については、本誌二〇〇七年秋季号に、国際人権活動日本委員会など四団体の「意見」が、二〇〇八年秋季号には、拷問禁止委貝会の「結論と勧告」が掲載されている。改めて本誌編集部のご努力に敬意を表したい。
本文は「記憶法」のだたかいが、その後どうなっているのか、二〇〇九年四月{国際人権活動日本委員会主催}と今年六月一一六日から七月三日まで、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟との共催によるツアーが企画され、二四名が参加した。その内容をお伝えしたい。
「記憶法」の専門家お二人と意見交流会
六月―八日、マドリッドで、一一年前に訪問したときにお匪話になったメネンデスさんと、同僚で「記憶法」の専門家であるラファエル・エスクデロ教授のお二人と意見交流会(下の写真)が行われた。

最初に私から「フランコの内戦・独裁時代における犠牲者の名誉回復のための『記憶法』は日本でも関心が高い。日本の歴代政府は侵略と植民地支配、国内外の弾圧を反省していない。こういう法律をぜひ日本でもつくりたい。東日本大震災での福島第一原発事故は放射能を世界に撒き散らしている。広島・長崎で被爆国となった日本が、いま加害国になっている。原発をなくし、スペインでも進んでいる自然子不ルギーによる発電についても学びたい」と発言しました
メネンデス教授は「ふたたびお会いできて非常に嬉しい。国連の拷問禁止委員をしている。国運に訴えにきた布川事件が無罪を勝ち取った報告は大変うれしく感じている。三月の大震災にお見舞い申し上げる。スペインには八か所の原発があり、サパテロ社会党政権は閉める計画はないが、新しく作る計画もない。ここ数年太陽パネル、風力発電などが急激に伸びている。フランコによる犠牲者の骨を子孫に返す、先祖の名誉を回復するのは非常に難しい」と述べた。
エスクデロ教授は「一九三六年以来フランコにより一四万四千人が合同墓地に葬られている。「記憶法」は政党ではなく市民団体で問題にし社会党が支持して出来た。国民党(右派)は『昔の傷を広げる』と反対している。次回の総選挙でサパテロ政権が負ければ『記憶法』がなくなるかもしれない。フランコ主義の思想は根強く残っている。特に警察や車隊の中に。フランコの墓も残っている。教科書に共和同政府のことが書かれていない」など、「記憶法」に基づくたたかいの前進が、逆流に抗して厳しいものになっていると話された。
ゲルニカ、グランカナリア島に分かれて
代衣団は二九日よりAコース(一三名)、Bコース(九名)の二つに分かれた。
Aコースはスペイン最古の大学の街サラマンカの「歴史の記憶法資料館」を見学。七月一日にはパブロ・ピカソの壁画で有名なゲルニカヘ。一九三七年四月二六日、フランコはヒトラーなどの力を借りて広島・長崎へっながるゲルニカヘの無差別爆撃を行った。ゲルニカ平和博物館(本誌[日本と世界の戦争博物館]参照)を見学し、空爆の被害者である八八歳のルイス・イリオンドさんの体験を聞いた。
私は、1年前のツアーで、四月二六日にゲルニカに行き、追悼式典に参加した。フランコは「爆撃はアカがやった」と宣伝し、フランコが死ぬまでイリオンドさんもそう思っていたという。
Bコースは、マドリッドから1000キロ離れたカナリア諸島のグランカナリア島を訪れた。グランカナリア島で二番目に大きい街、テルデ市を訪問し、市職員の案内で「ヒロシマ・ナガサキ広場」を訪れ、日本国憲法九条がスペイン語で書かれている碑を見学した。日本でもこうした碑はないのではないかと思う。この碑ができたいきさつは、テルデ市がNATO加盟と軍事基地設立に反対し「非核宣言」を行ったたたかいのときに、非核と平和を求める市民のあいだで日本の憲法が話題になり、一九九六年に広場(ヒロシマ・ナガサキ広場)と九条の碑が建設されたということだ。

日本国憲法9条の碑の前で
スペイン法律家たちと日本人との取組みが
また、グランカナリア島では、ラスパルマス大学のカルメロ・ペレス教授(二年前にも『記憶法』に関ったメンバーということでお会いしている)のお世話で、平和・人権の活動をしているNGO八団体との意見交流会を持つことができた。
ベレス教授は「カナリア諸島にも市民戦争時の三〇〇〇人の遺体が埋められている。『記憶法』の条文は不十分で、日本の憲法のような明確な規定がほしい。スペイン政府の対応も不ト分である」と語り、平和への権利国連宣言をつくるためにスペイン国際人権法協会(ベレスさんはこの協会の事務局長)が日本の学者・法律家とも協力していることを話された。「平和への権利宣言」は、日本国憲法九条だけでなく、憲法前文の平和的生存権を高く評価し、それを盛り込んだ国運宣言をするよう人権理事会への取り組みを行っている。
ペレス教授から日本の書籍のカバー・をコピーしたチラシを渡された。「平和への権利を世界に」(かもがわ出版)笹本潤(弁護士、国際民主法律家協会事務岫長)・前田朗(国際人権活動日本委員会、東京造形大学教授)編著の本である。お二人ともジュネーブで活躍している。八月の人権理事会諮問委員会の前に、ジュネーブで「人民の平和に関する専門家協議会」を開催し、笹本さん、前田さんと塩川頼男さんが事務局を担当したということである。諮問委員会では、前田さんと笹本さんが、このテーマで発言した。
また、今年の一二月には、「平和への権利を世界に」国連宜言の実施をめざす運動の一環として、スペイン国際人権法協会の会長、事務局長が来日する予定である。
「記憶法」は真実を探求するたたかい
参加したNGOはフ牛和と人権カナリア諸島文化区域の会」「パレスチナ人社会のための女性の会」「難民援助のためのスペイン委員会」「歴史の記憶の会」「『私は女性』の会」など八団体九人で、それぞれの活動の紹介があった。最初に発言した「歴史の記憶の会」のイサベルさんは、「父親が市民戦争で処刑された。テルデの火山の火口に共産党員の遺体が放り込まれた。「記憶法」では遺体を掘り出す許可がでない。行方不明者のリストが不十分である。『歴史の記憶法』のたたかいは真実を探求するたたかいである」と非常に感動的な発言をした。カルメンさんは、父親が社会党・人民戦線に関与し、二〇年の実刑を受けた。自分もフランコ政権に迫害され、四○年前にカナリア諸島に逃げてきた。バスケスさんも弾圧された家族だ。叔父さんは迫害されフランスヘ亡命したが、フランスもナチスの占領下でドイツの捕虜となった。現在も帰国していない。バスケスさん自身は一九五七年に非合法下の共産党員になり、一九七〇年デンマークに亡命。フランコが死亡してからスペインに戻ることができた。
続くNGOの方々の発言も「記憶法」にもとづくたたかいが、いかに困難なものかを語ってくれた。司法も保守的であると。しかし、「記憶法」は無駄、無効ではない、という力強い発言が最後にあった。
近代史の苦しみの中から
『記憶法』に関する二度のツアーで感じたことはこの法律がスペインの近代史の苫しみの中から生まれたものであり、一般市民の力で誕生させるまでは難産だったと聞いている。野党国民党はもとより、この法律を成立させた社会党の中にも「過去の問題を掘り返さなくても」という意見があったりする。次の総選挙でサパテロ社会党政権が倒れればづ記憶法』もどうなるかわからないという心配も聞く。法律に不ト分な点があるとはいえ、治安維持法や横浜~件やレッドーパージなどの大弾圧や侵略と植民地支配について明確な反省も謝罪も補償もない日本にくらべれば『記憶法』を誕生させたスペインの社会は立派である。フランコ派の残党や右翼、保守勢力からはげしい攻撃を受けている中で、『記憶法』の精神をけハ体化し、前進させようとたたかっている学費、弁護士、NGOの活動家と交流できたことは非常に有意義であった。
「日本でも『記憶法』を」という思いを強くし、これからも引き続き「記憶法」を学び、研究していきたい。
(よしだ こういち・国際人権活動日本委員会代表委員)
(注)
歴史の記憶に関する法律
スペインでは、一九三六年に選挙で成立した民主主義的な共和政府を打倒するために、ファシストのフランコ将軍が、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニの力を借りて反乱軍を蜂起させ、一九三九年に終結するまで内戦状態となり、以後一九七五年にフランコが死去するまでので六年間、独裁体制が続いた。この法律は、スペイン内戦や独裁体制の間に、政治的・思想的な理由により迫害された人に対し、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復をする権利を認め、犠牲者、遺族に年金・賠償金を国が支給。犠牲者の発見、遺体の発掘を国が支援するとしている。スペイン内戦に共和政府側の義勇兵として参加した外国人にもスペイン国籍取得の権利を認め、その場合、賠償などが適用される。独裁政権を賛美する公共の記念物の撤去、資料センター設置などを定めている。

絵手紙 (「不屈」和歌山版 2011年5月15日号より)
「治安維持法と現代」 2011年秋季号 112~117頁
# by hukutsu-hidaka | 2011-11-01 22:00
県本部大会での『規約に関する質問』へのお答え
第三五回全国大会にむけて中央本部より提案された中央本部規約改正案に対して和歌山県本部の会員から、いくつかの質問意見を提出しておりました。結果は次のとおりです。
①前文に関して
同盟の目的達成が「暗黒政治に逆戻りさせない保障=何にも増して解決されるべき課題」とあるのは言い過ぎではないか。適切な表現にされました。
②第1条、同盟の名称
同盟の名称が硬い、古臭い。なじみやすい名称にせよ。引き続き検討する。
③第2条の「基本要求」について
「再び戦争と暗黒政治を許さない」はなくしてもよいのでは。原案どおり。
④第2条の一三項の項目列挙を整理せよ。第3条に独立させ原案通り列挙。
⑤第9条「支部総会開催に県本部の承認が必要」を削除、第13条「支部の財政は県本部の決定が必要」の削除、第11条の「厳格な規律」をもっとゆるやかになどの要望は適切な形で取り入れられました。
不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
第三五回全国大会にむけて中央本部より提案された中央本部規約改正案に対して和歌山県本部の会員から、いくつかの質問意見を提出しておりました。結果は次のとおりです。
①前文に関して
同盟の目的達成が「暗黒政治に逆戻りさせない保障=何にも増して解決されるべき課題」とあるのは言い過ぎではないか。適切な表現にされました。
②第1条、同盟の名称
同盟の名称が硬い、古臭い。なじみやすい名称にせよ。引き続き検討する。
③第2条の「基本要求」について
「再び戦争と暗黒政治を許さない」はなくしてもよいのでは。原案どおり。
④第2条の一三項の項目列挙を整理せよ。第3条に独立させ原案通り列挙。
⑤第9条「支部総会開催に県本部の承認が必要」を削除、第13条「支部の財政は県本部の決定が必要」の削除、第11条の「厳格な規律」をもっとゆるやかになどの要望は適切な形で取り入れられました。
不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
請願署名 前年度を超える
11月9日国会請願に提出する和歌山県下で集められた署名(10年度)は、下表の通りです。
昨年来の参議院選挙、猛暑などで取り組みは前年度より遅れていましたが、請願日時の延期の間に遅れを取り戻し、昨年度をオーバーしました。
橋本・伊都支部はいち早く、目標を達成し、引き続き、和歌山西支部が過去最高となり、和歌山北支部が6年ぶり1500筆の峰を突破して達成しました。
日高支部、西牟婁支部は達成直前です。


不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
11月9日国会請願に提出する和歌山県下で集められた署名(10年度)は、下表の通りです。
昨年来の参議院選挙、猛暑などで取り組みは前年度より遅れていましたが、請願日時の延期の間に遅れを取り戻し、昨年度をオーバーしました。
橋本・伊都支部はいち早く、目標を達成し、引き続き、和歌山西支部が過去最高となり、和歌山北支部が6年ぶり1500筆の峰を突破して達成しました。
日高支部、西牟婁支部は達成直前です。


不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
第22回大会
代議員の発言より
第二二回県本部大会は各報告、方針案の提案をうけ、各代議員より活発な発言がありました。前号につづき、その要旨を紹介します。 (順不同、敬称略)
和歌山北支部 Y K也
独自活動を楽しく
和歌山北支部は、基本的には毎月一回の三役会議と、三ヵ月に一回の幹事会を開き、集団討議をし、当面の方針を決定し実践しています。
署名の回収ならびに会費や年間募金は、『不屈』の配達ルート担当者が行っていますが、別途、年金支給月を中心に支部長と事務局長が会員宅を訪問して訴えています。それは会員の近況を知ることも出来て意義ある活動だと考えています。
その他、年に二回、訴え文と署名用紙を届けています。そして、総会終了後の懇親会、春の花見、メーデーでの食事会、秋の支部独白のバスツアーなど、盛りだくさんの年間計画を立て楽しく活動しています。
ただ、若年層への働きかけと、全員参加型の実践活動、そして定期学習などに弱点があり、今後の大きな課題として残つています。
日高支部 T Y男
教科書問題にもつと関心を
今年は自由社、育鵬社の歴史をゆがめた教科書から子どもを守る大きな問題があった。さいわい和歌山ではその策動を許さなかったが、それは過去の闘いの蓄積の力だった。だが、現実は関心が薄い。県本部としても教科書問題にもっと関心を寄せ、正し
い歴史認識を広めることは、知事があの状態だから、同盟の任務としても特に重要だ。
2011.10.15 不屈和歌山県版 №242 (1)
代議員の発言より
第二二回県本部大会は各報告、方針案の提案をうけ、各代議員より活発な発言がありました。前号につづき、その要旨を紹介します。 (順不同、敬称略)
和歌山北支部 Y K也
独自活動を楽しく
和歌山北支部は、基本的には毎月一回の三役会議と、三ヵ月に一回の幹事会を開き、集団討議をし、当面の方針を決定し実践しています。
署名の回収ならびに会費や年間募金は、『不屈』の配達ルート担当者が行っていますが、別途、年金支給月を中心に支部長と事務局長が会員宅を訪問して訴えています。それは会員の近況を知ることも出来て意義ある活動だと考えています。
その他、年に二回、訴え文と署名用紙を届けています。そして、総会終了後の懇親会、春の花見、メーデーでの食事会、秋の支部独白のバスツアーなど、盛りだくさんの年間計画を立て楽しく活動しています。
ただ、若年層への働きかけと、全員参加型の実践活動、そして定期学習などに弱点があり、今後の大きな課題として残つています。
日高支部 T Y男
教科書問題にもつと関心を
今年は自由社、育鵬社の歴史をゆがめた教科書から子どもを守る大きな問題があった。さいわい和歌山ではその策動を許さなかったが、それは過去の闘いの蓄積の力だった。だが、現実は関心が薄い。県本部としても教科書問題にもっと関心を寄せ、正し
い歴史認識を広めることは、知事があの状態だから、同盟の任務としても特に重要だ。
2011.10.15 不屈和歌山県版 №242 (1)
こだま
◆「A級戦犯はもはや戦犯ではない」とは野田首相の持論らしい。首相になってもそれを改めるつもりはないという。どこから出て来る理屈か知らないが、とんだ人が首相になったものだ。◆歴史認識で国際的常識に追いつけぬ首相は珍しくなかったが、「戦争犯罪」についても国際的常識を心得ぬ首相が二一世紀も一〇年代に現れたとはなんとも悲しい話である。◆「戦争と人道に反する罪には時効はない」とは、一九六八年国連総会で議決された条約である。だが、日本はいまだ批准していない。首相の持論の遠因はそこら辺りにあるのかもしれないが、お粗末な話である。◆だが、そんな国際条約を首相はもともと知らないのかもしれない。どちらかは知らないが、そんな姿勢で政治に当たられては平和も民主主義も危ういものだ。ただ靖国派は笑いが止まらないだろう。ところで首相は戦争犯罪や人道に反するを支えた治安維持法は知っているのだろうか。知っていても知らんぷりするもしれない。知らなければ教えてやろう。知らんぷりなら許さないでおこう。われわれの運動だ。一一月九日、盟代表は国会へ行く。一年間、同盟会員の集めた署名を引っ提げて。
2011.10.15 不屈和歌山県版 №242 (2)
◆「A級戦犯はもはや戦犯ではない」とは野田首相の持論らしい。首相になってもそれを改めるつもりはないという。どこから出て来る理屈か知らないが、とんだ人が首相になったものだ。◆歴史認識で国際的常識に追いつけぬ首相は珍しくなかったが、「戦争犯罪」についても国際的常識を心得ぬ首相が二一世紀も一〇年代に現れたとはなんとも悲しい話である。◆「戦争と人道に反する罪には時効はない」とは、一九六八年国連総会で議決された条約である。だが、日本はいまだ批准していない。首相の持論の遠因はそこら辺りにあるのかもしれないが、お粗末な話である。◆だが、そんな国際条約を首相はもともと知らないのかもしれない。どちらかは知らないが、そんな姿勢で政治に当たられては平和も民主主義も危ういものだ。ただ靖国派は笑いが止まらないだろう。ところで首相は戦争犯罪や人道に反するを支えた治安維持法は知っているのだろうか。知っていても知らんぷりするもしれない。知らなければ教えてやろう。知らんぷりなら許さないでおこう。われわれの運動だ。一一月九日、盟代表は国会へ行く。一年間、同盟会員の集めた署名を引っ提げて。
2011.10.15 不屈和歌山県版 №242 (2)
スペインの闘いに学ぶ
和歌山西支部 H A夫
先日、同盟奈良県本部会長の田辺実氏からスペインの「歴史の記憶に関する法律」について学ぶ機会がありました。
一九三六年、スペインでは総選挙によって選出された民主連合政府が成立しましたが、反動勢力が襲いかかり、フランコ将軍率いる反乱軍のクーデターによってこの政府は倒されました。国際的な義勇軍の参加もあり、共和国軍は果敢に戦いましたが、ドイツ、イタリアのファシストに支援された反乱軍に破れました。
一九七五年まで続いたフランコ独裁政権は共和国を守るために戦った人々やフランコの独裁政権に反対した人々に過酷な弾圧、拷問、差別、圧迫を加え、合同墓地に葬られている遺体は一一万人から二三万人に上るといわれています。
四〇年間スペインではこの事実に一言も触れることも出来ず、フランコ没後も何年間も口にする事が出来なかったといいます。
二一世紀に入って人々はようやく口を開き始めました。二〇〇四年四月、社会労働党のサバテーロ政権が成立し、同年一二月に「歴史の記憶に関する法律」が公布されたのでした。
この法律は内戦時やその後のフランコ独裁時に迫害によって受けた刑罰、制裁を不当なものと認め、名誉を回復することや、亡くなったスペイン大の寡婦や子どもの家族に年金を支給するなどを定めています。
私たちはこのような法律の制定を国に求めて運動している団体です。スペイン人民の歴史をよく学ぶ必要があると痛感しました。
不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
和歌山西支部 H A夫
先日、同盟奈良県本部会長の田辺実氏からスペインの「歴史の記憶に関する法律」について学ぶ機会がありました。
一九三六年、スペインでは総選挙によって選出された民主連合政府が成立しましたが、反動勢力が襲いかかり、フランコ将軍率いる反乱軍のクーデターによってこの政府は倒されました。国際的な義勇軍の参加もあり、共和国軍は果敢に戦いましたが、ドイツ、イタリアのファシストに支援された反乱軍に破れました。
一九七五年まで続いたフランコ独裁政権は共和国を守るために戦った人々やフランコの独裁政権に反対した人々に過酷な弾圧、拷問、差別、圧迫を加え、合同墓地に葬られている遺体は一一万人から二三万人に上るといわれています。
四〇年間スペインではこの事実に一言も触れることも出来ず、フランコ没後も何年間も口にする事が出来なかったといいます。
二一世紀に入って人々はようやく口を開き始めました。二〇〇四年四月、社会労働党のサバテーロ政権が成立し、同年一二月に「歴史の記憶に関する法律」が公布されたのでした。
この法律は内戦時やその後のフランコ独裁時に迫害によって受けた刑罰、制裁を不当なものと認め、名誉を回復することや、亡くなったスペイン大の寡婦や子どもの家族に年金を支給するなどを定めています。
私たちはこのような法律の制定を国に求めて運動している団体です。スペイン人民の歴史をよく学ぶ必要があると痛感しました。
不屈 和歌山県版 No.242(3) 2011/10/15
知事の「戦争責任」について思うこと O N子
『県民の友』8月号に、「戦争責任」というタイトルで知事メッセージが掲載されました。書かれているその内容は、多くの人の命を奪い、幸せを踏みにじった戦争の責任は、当時のすべての国民にその責任があるというものです。
一般国民と戦争指導者達とは責任の重さは違うと言いながら、万歳で戦地に送り出して行ったことや、教育現場での軍国教育などを引き合いに出し、戦争を推奨した国民、そしてその国民が敗戦後はころりと変わったことを批判しています。
私は知事と同世代の人間として戦争の歴史認識の違いに驚くと同時に、公人としての見識のなさに憤りを感じます。
今も鮮烈に覚えていますが、小学校3年生の時のことです。大変体格の立派なこわい顔(子どものときの印象)をした男性の先生がいました。その先生から、授業の中で中国大陸での日本兵がどんなに酷いことをしたか、そうしないと自分が生きていけなかったことなどを聞きました。子ども心に戦争への恐怖が頭にこびりついてしまいました。家には一〇代で戦死した伯父の写真が飾られ、日頃から目に入ってきます。本当に万歳といって家族は送り出したのでしょうか。母にとってはたった一人の兄で、よくお墓参りについて行きました。
手を合わせている母の姿が妙に印象に残っています。知事には戦争反対という気持ちを押し殺さなければいけなかった国民のことや、戦争に反対し特高に虐殺された人々のことは眼中にないのでしようか。
憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し……」と述べられています。政府の行為によって起こった戦争として捉えるのが本来、公人としての基本的立場のはずです。知事の資質が問われる問題です。
議会においてもさらに認識を質し、憲法に基づいて県民が主人公の県政となるように力を尽くして参ります。 (会員県議会議員)
不屈 和歌山県版 No.242(4) 2011/10/15
『県民の友』8月号に、「戦争責任」というタイトルで知事メッセージが掲載されました。書かれているその内容は、多くの人の命を奪い、幸せを踏みにじった戦争の責任は、当時のすべての国民にその責任があるというものです。
一般国民と戦争指導者達とは責任の重さは違うと言いながら、万歳で戦地に送り出して行ったことや、教育現場での軍国教育などを引き合いに出し、戦争を推奨した国民、そしてその国民が敗戦後はころりと変わったことを批判しています。
私は知事と同世代の人間として戦争の歴史認識の違いに驚くと同時に、公人としての見識のなさに憤りを感じます。
今も鮮烈に覚えていますが、小学校3年生の時のことです。大変体格の立派なこわい顔(子どものときの印象)をした男性の先生がいました。その先生から、授業の中で中国大陸での日本兵がどんなに酷いことをしたか、そうしないと自分が生きていけなかったことなどを聞きました。子ども心に戦争への恐怖が頭にこびりついてしまいました。家には一〇代で戦死した伯父の写真が飾られ、日頃から目に入ってきます。本当に万歳といって家族は送り出したのでしょうか。母にとってはたった一人の兄で、よくお墓参りについて行きました。
手を合わせている母の姿が妙に印象に残っています。知事には戦争反対という気持ちを押し殺さなければいけなかった国民のことや、戦争に反対し特高に虐殺された人々のことは眼中にないのでしようか。
憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し……」と述べられています。政府の行為によって起こった戦争として捉えるのが本来、公人としての基本的立場のはずです。知事の資質が問われる問題です。
議会においてもさらに認識を質し、憲法に基づいて県民が主人公の県政となるように力を尽くして参ります。 (会員県議会議員)
不屈 和歌山県版 No.242(4) 2011/10/15
歴史の真実を知る
和歌山北支部 U F代
だが、辛亥革命について本年まで無知であった事は何と口惜しい事だったか。今、私は宮地正人監修の『日本近代史を読む』笠原十九司編集の『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』に学び、『中央公論』
一一年一月号の特集「中国、辛亥革命と日本人の百年」も読んでいる。三百年の清王朝を終わらせた中国革命の父孫文の声を其処から聞いてみよう。
「日本の明治維新は中国革命の第一歩です。中国革命は明治維新の第二歩です。」「日本なくして中国なし、中国なくして日本なし」大正二二年、新聞記者に対しての言葉。
「今後日本は西洋覇道の番犬になるのか、あるいは東洋王道の牙城をとなるのか」大正一三年神戸にて「大アジア主義」と題する講演の中での問いかけめ言葉。
現在中国は飛躍的な経済発展を遂げている。だが、貧富の差、言論の自由、民族独立等民主化の多くの課題を抱えている。日本も今回の東日本大震災で洗い出された財界本位、米国従属、国民主権等、国政の岐路に立つ課題がある。孫文が考えたアジアの平和、日本と中国が担う国のありよう。歴史を省み、これからの歩みを慎重に考えてみよう。 (おわり)
不屈 和歌山県版 No.242(4) 2011/10/15
和歌山北支部 U F代
だが、辛亥革命について本年まで無知であった事は何と口惜しい事だったか。今、私は宮地正人監修の『日本近代史を読む』笠原十九司編集の『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』に学び、『中央公論』
一一年一月号の特集「中国、辛亥革命と日本人の百年」も読んでいる。三百年の清王朝を終わらせた中国革命の父孫文の声を其処から聞いてみよう。
「日本の明治維新は中国革命の第一歩です。中国革命は明治維新の第二歩です。」「日本なくして中国なし、中国なくして日本なし」大正二二年、新聞記者に対しての言葉。
「今後日本は西洋覇道の番犬になるのか、あるいは東洋王道の牙城をとなるのか」大正一三年神戸にて「大アジア主義」と題する講演の中での問いかけめ言葉。
現在中国は飛躍的な経済発展を遂げている。だが、貧富の差、言論の自由、民族独立等民主化の多くの課題を抱えている。日本も今回の東日本大震災で洗い出された財界本位、米国従属、国民主権等、国政の岐路に立つ課題がある。孫文が考えたアジアの平和、日本と中国が担う国のありよう。歴史を省み、これからの歩みを慎重に考えてみよう。 (おわり)
不屈 和歌山県版 No.242(4) 2011/10/15
無言館と安曇野ちひろ美術館を訪ねる旅

2011年度「不屈」バスツアー
◇とき:10月12日(水)~13日(木)
◇宿泊:鹿教湯(かけゆ)温泉・ニューかどや (TEL:0268-44-2016)
戦場に散った画学生たちの絵を展示する無言館。「世界中のこどもに平和としあわせを」と子どもや花を描いたいわさきちひろの美術館。信州の山宣記念碑も訪れます。反戦平和への決意を固め、治安維持法犠牲者を追悼するとともに、深まる信州の秋を満喫し、英気を養いましょう。
無言館
長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。
静まりかえった「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。
絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。
「無言館」館主窪島誠一郎さんは、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ね、収集しました。
安曇野ちひろ美術館
青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこどもみんなに平和と幸せを」ということばを残しています。

ちひろが描いた子どもや花は、今もいのちの輝き、平和の大切さを語り続けています。
97年にオープンした安曇野ちひろ美術館は多くの人が訪れ、いわさきちひろの代表作のほか、初期の素描、水彩、信州との深い結びつきを示す作品など、約80点が展示され、ちひろの画業の全体像に触れることができます。
山本宣治・高倉テル記念碑
29年3月1日、高倉テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き講演会が行われました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼に暗殺されました。抗議の記念碑が高倉テルの借家の庭に建立されました。
◇申し込み:各支部事務局長
または和歌山県本部(TEL/FAX:073-422-7076)


2011年度「不屈」バスツアー
◇とき:10月12日(水)~13日(木)
◇宿泊:鹿教湯(かけゆ)温泉・ニューかどや (TEL:0268-44-2016)
戦場に散った画学生たちの絵を展示する無言館。「世界中のこどもに平和としあわせを」と子どもや花を描いたいわさきちひろの美術館。信州の山宣記念碑も訪れます。反戦平和への決意を固め、治安維持法犠牲者を追悼するとともに、深まる信州の秋を満喫し、英気を養いましょう。
無言館

長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。
静まりかえった「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。
絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。「無言館」館主窪島誠一郎さんは、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ね、収集しました。
安曇野ちひろ美術館青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこどもみんなに平和と幸せを」ということばを残しています。

ちひろが描いた子どもや花は、今もいのちの輝き、平和の大切さを語り続けています。
97年にオープンした安曇野ちひろ美術館は多くの人が訪れ、いわさきちひろの代表作のほか、初期の素描、水彩、信州との深い結びつきを示す作品など、約80点が展示され、ちひろの画業の全体像に触れることができます。
山本宣治・高倉テル記念碑

29年3月1日、高倉テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き講演会が行われました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼に暗殺されました。抗議の記念碑が高倉テルの借家の庭に建立されました。
◇申し込み:各支部事務局長
または和歌山県本部(TEL/FAX:073-422-7076)

120名の支部の活動
和歌山県・鶴田至弘
和歌山は、人口100万人足らず、紀伊半島にある日高支部は、全県600名中120名もいる支部です。1994年に結成され、先月支部機関紙「不屈日高」は200号の発行となりました。編集方針は、親しみやすいものにすること、毎号20部余計に発行。創立時会員は16名。三役会議は月に一度、年1~2回学習会。この発展の原動力は、常に拡大ありき。学習こそ力。遊び学べです。町議会は賛成で意見書採択。
第2点は、規約問題です。現名称は「長い、固い、人が聞いても不明」、とくに「同盟」は大時代的的だ、固い……拘束されそうな印象を与える。進取の気風に欠けているのでは。提案だが、「名誉回復を求める会」ではどうか。
和歌山県・鶴田至弘
和歌山は、人口100万人足らず、紀伊半島にある日高支部は、全県600名中120名もいる支部です。1994年に結成され、先月支部機関紙「不屈日高」は200号の発行となりました。編集方針は、親しみやすいものにすること、毎号20部余計に発行。創立時会員は16名。三役会議は月に一度、年1~2回学習会。この発展の原動力は、常に拡大ありき。学習こそ力。遊び学べです。町議会は賛成で意見書採択。第2点は、規約問題です。現名称は「長い、固い、人が聞いても不明」、とくに「同盟」は大時代的的だ、固い……拘束されそうな印象を与える。進取の気風に欠けているのでは。提案だが、「名誉回復を求める会」ではどうか。
不屈中央版 No.445(2) 2011年7月15日(毎月15日発行)
「日高200号」を自分の心得に
発言の後で思ったこと T ・Y弘
「我が和歌山県の日高支部は、支部機関紙を200号まで休むことなく継続・発行し、会員の組織率もダントツである」と僕は大見得を切って大会会場で発言した。会場に「ホー」という賛嘆のどよめきが流れて、ナルホドこれは全国に希有なことなんだなアと喋りながら自分で感じ入った。
実はこの話を大会でするために、事前に日高支部の吉岡支部長、深海事務局長に、その「教訓」「原動力」「秘訣」は何であるかを聞きたく御坊まで行ってきた。お二人がボソボソと語ってくれたのは、①会議はきちんとひらくこと、②少人数でも情勢と任務を必ず討議すること、③初心をいつも思い出すこと、④よく学びよく遊べ、と言うようなことだった。
「そんなこといつも言ってることでしょう、ほかに『秘訣』はないですか」と切り込んだが、ボソボソと「そんなことやナ」と言うことだった。
だから僕はそのとおり会場でハキハキと「原動力」と「教訓」について語ったのだった。
しかし、帰ってきてからこの「教訓」は、どうも喋った僕白身の方にジワジワと迫ってきている。喋った本人が、そのことを、今後生かせるのかどうか、それを県同盟にどう本気で役立てるか。来る県大会ではそれを自分の課題として語らなければならない。僕にとっては相当しんどい仕事になってきた。
(代議員 県本部会長)
発言の後で思ったこと T ・Y弘
「我が和歌山県の日高支部は、支部機関紙を200号まで休むことなく継続・発行し、会員の組織率もダントツである」と僕は大見得を切って大会会場で発言した。会場に「ホー」という賛嘆のどよめきが流れて、ナルホドこれは全国に希有なことなんだなアと喋りながら自分で感じ入った。実はこの話を大会でするために、事前に日高支部の吉岡支部長、深海事務局長に、その「教訓」「原動力」「秘訣」は何であるかを聞きたく御坊まで行ってきた。お二人がボソボソと語ってくれたのは、①会議はきちんとひらくこと、②少人数でも情勢と任務を必ず討議すること、③初心をいつも思い出すこと、④よく学びよく遊べ、と言うようなことだった。
「そんなこといつも言ってることでしょう、ほかに『秘訣』はないですか」と切り込んだが、ボソボソと「そんなことやナ」と言うことだった。
だから僕はそのとおり会場でハキハキと「原動力」と「教訓」について語ったのだった。
しかし、帰ってきてからこの「教訓」は、どうも喋った僕白身の方にジワジワと迫ってきている。喋った本人が、そのことを、今後生かせるのかどうか、それを県同盟にどう本気で役立てるか。来る県大会ではそれを自分の課題として語らなければならない。僕にとっては相当しんどい仕事になってきた。
(代議員 県本部会長)
不屈和歌山県版 239号 (1) 2011.7.15発行
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟
の運動を国民的運動へ発展させよう

はじめに
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、治安維持法(1925~1945)にもとづいて天皇制政府がおこなった弾圧の犠牲者に対して謝罪と賠償を求めています。
戦争に反対し、国民主権確立のためにたたかった治安維持法犠牲者の遺志を継ぎ、発展させるために「ふたたび戦争と暗黒政治許すな」と、「戦争する国」にすることは許さず、人権を確立するためにたたかうことがわたしたちの運動の原点です。
わたしたちの運動は、単に歴史上の問題を振り返るものではありません。未来を展望するたたかいです。21世紀を平和と人権の世紀にしていくためのたたかいです。
平和の世紀をめざす世界のうねりは広がっています。友好協力条約や、EU、東南アジア、南米など平和をめざす共同体が広がっています。日本は日米軍事同盟にしがみついて逆行しています。
人権尊重は世界の流れです。国連人権理事会が委員会から昇格して設置されたのも、世界に人権確立を求める声があふれるようになったからです。歴史上の問題処理もすすんでいます。日本は人権後進国です。
たたかいの基本は、侵略戦争・植民地支配・人権蹂躙の治安維持法弾圧の歴史認識を正すことです。歴史認識を正すことも未来を拓くたたかいです。侵略戦争・植民地支配への謝罪は北東アジアの真の平和を拓く道です。治安維持法犠牲者への謝罪は、人権確立をめざすたたかいです。
いま治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、わたしたちの運動を国民的運動に発展させよう、国民の中に理解を広げていこうと取り組み始めています。
国民的運動へ発展させようという呼びかけは、全国の同盟組織に積極的に受け止められ、どれだけの会員数にすれば国民運動に発展させるためにふさわしいか、国民的運動と言えるにふさわしい国賠署名目標を掲げて運動に取り組もうという組織も、まだ萌芽的ではありますが生まれています。
国民的運動にするとは国民の間に広く理解と共感を得ようということです。国民的運動として展開できる根拠と展望は、歴史認識を正し、人道問題に正面から向きあうところにあります。
国民的運動に発展させるために、同盟の内外で議論を深めていただき、広くご意見をお寄せいただきたいと思います。
人道に対する犯罪は許せない
治安維持法弾圧で実刑判決を受けたものについては、1945年12月29日「勅令第730号」により「刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト見倣ス」とされ、判決無効とされました。これが、治安維持法弾圧犠牲者たちに対して行なわれた、たったひとつの処置です。
虐殺・獄死、拷問・陵辱、令状なしの検挙・家宅捜査、長期の拘留。戦前の刑法でも禁止、違法行為とされていた人権侵害にひと言の詫びの言葉もありません。
「葬式は出してはならん」「墓を建てるな」と脅迫、小学校修了名簿から抹殺、中学校同窓生名簿から除外、結婚や就職、隣近所の付き合いを特高が妨害など社会からの抹殺・排除が図られました。転々と居を移し、弾圧されたことをひた隠し、戦後もおびえたまま過ごした人たちがいます。
塀の中の権力犯罪~国家テロリズムは、人権揉蹟、人権無視でした。国連で「戦争犯罪と人道に反する罪に対する時効不適用条約」が決議され、国際法として確立しています。日本は決議に棄権して批准していません。ドイツでは、ナチスドイツの人道に反する犯罪や行為を追及し続けています。これが世界の常識です。
人道に反する権力犯罪の犠牲者に対する謝罪と賠償を求めます。ただ過去の問題の処理ではなく、将来にわたって、人権が確立されることを求めています。
戦後政治の問題
45年8月15日、日本が受諾した「ポツダム宣言」は言論、宗教、思想の自由と基本的人権の確立を求めていました。
日本政府(東久邇内閣)は「ポツダム宣言」を実行に移す努力を全く怠り、天皇を守ること、天皇制を維持することに汲々とし、治安維持法がなければ天皇制を守れない、天皇制に刃向う政治思想犯など釈放できないと考えていました。この内閣の考えが明るみに出てようやく10月4日にGHQ指令が出されました。
治安維持法は10月15日、治安警察法は11月21日廃止されました。
しかし、治安維持法が悪法であったことを認めず、権力犯罪については口をつぐんだままです。この戦後政治の問題点を見極めておかねばなりません。
1948年にアメリカが対日政策を転換し、侵略戦争を推進した支配層が息を吹き返し、戦犯政治家、復活した翼賛議員が政治の中枢に座りました。人道に反する弾圧の指揮者、執行者であった特高官僚たちも、国会議員となり、あるいは中央省庁の要職について反動政治の推進者となりました。(詳しくは拙著『戦後の特高官僚』をご覧下さい)
天皇のためにすべて従う「臣民」の鋳型にはめ込まれていたものたちは、すぐに呪縛から解き放たれたわけではありません。それは戦前の指導者を、そのまま戦後にも受け入れたことにもあらわれました。
「自分たちは国のためにやってきた」と言う政治家たちは、日米安保条約でアメリカに従属的に同盟しながら、占領政策の是正を言い、天皇主権の回復を願望し、改憲勢力を形成し、靖国派・日本会議の源流が形成されていきました。
天皇主権回復をめざす目標は、時には声高に叫び、あるいはひそやかに行われました。紀元節復活をめざしたのもそのひとつです。元号は明治になって一世一元と旧皇室典範で定めていました。47年5月、新皇室典範で元号の規定はなくなりました。この時点で「昭和」の元号は、規定する法規を失っていました。国民の側で注意を払ったものは残念ながらいませんでした。危惧を抱いた天皇中心主義者たちは元号復活のために奔走しました。昭和天皇が死去したとき、葬儀も、代替わり儀式も、神道行事と国家行事を一体化して政府に行わせるために、死去するかなり前から策動されました。国民があまり気付かないところで、皇国史観派、靖国派たちが策動したのです。
戦後政治の問題点の核心は、天皇中心主義を保持し、侵略戦争だと認めず、植民地支配を美化し、謝罪を拒否し続けているものたちが支配の中心に座り続けたことです。
歴史認識を正すたたかい
歴史認識を正すことは同盟運動の基本です。
日本近代史には、日本政府として歴史的、道義的、政治的に謝罪しなければならない三つの問題があります。侵略戦争と植民地支配、治安維持法弾圧です。
日本が行なったアジア太平洋戦争について極東軍事裁判が行なわれ、戦争責任を問われて戦争犯罪人として処断されました。しかし、天皇の戦争責任は不問とされました。731部隊 重慶大爆撃など不問とされた問題も少なくありません。日本軍性奴隷のように、あとから国際問題化したものもあります。
日本帝国主義の領土拡大、資源獲得の基本的戦略は、陸海軍を統括した大元帥昭和天皇のもとでおこなわれた御前会議で決定されました。侵略戦争推進の責任は明白です。天皇の免責は、戦後政治の根源となります。
国民の側から戦争犯罪を裁かなければなりません。戦争で国民はどれだけ被害をこうむったでしょうか。戦場へ駆り立てられて生命を失った人、原爆や空襲で生命をうばわれた人、財産をすべて失った家族、働き手を失って戦後苦難の生活をしいられた家族。お国のためだ、戦争だったからと我慢し、耐えてきました。いったいどんな戦争を、誰が押し進めたことで、被害をこうむったのか。侵略戦争で民衆がどんな被害をこうむったのかを含め、責任追及の声をあげようではありませんか。
朝鮮半島の植民地支配における、土地取り上げ、財産収奪、略奪、信仰の押し付け、創氏改名など、多数の人権侵害は明白です。
侵略戦争と植民地支配を日本政府が謝罪することは、北東アジアに真の平和友好を築く道を切り拓きます。
ドイツがヨーロッパ社会に受け入れられているのは、ナチスドイツが行った行為について、歴史的、道義的、政治的責任を取り続けることを常に明らかにしているからです。
侵略戦争、植民地支配の責任を認めさせることは容易でないたたかいです。靖国派・皇国史観派・自由主義史観派が執拗に侵略戦争であることを否定し、植民地支配はよいことをしたとふりまいています。
侵略戦争と植民地支配について歴史の真実を学ぶこと、学んで真実を知る人たちを圧倒的な多数にしていく必要があります。
人道に背き、拷問、陵辱をほしいままにし、虐殺、獄死の痛ましい犠牲まであったことを、決して歴史のひだに埋もれさせることはできません。権力犯罪者たちの責任を追及し、厳しい断を下さなければなりません。
世界で進む歴史問題の処理
世界では過去の人道上の誤りの清算が進んでいます。
カナダは一丸世紀に中国人移民を差別虐待したことに謝罪しました(2006年)。イタリアはリビアを侵略して植民地支配したことに謝罪しました(2006年)。フランスはマダガスカルの植民地解放運動弾圧を謝罪しました(2006年)。スペインでは1936年から39年までの内戦と、75年までのフランコ軍事独裁政権による犠牲者の名誉を回復し遺族へ補償を行う「歴史の記憶法」が議決されました(2007年)。オーストラリアはアポリジニ(原住民)への差別と迫害に謝罪しました(2007七年)。カナダでは2000年にインディアン(原住民)に対する謝罪がおこなわれています。アメリカの下院は黒人奴隷の被害者と子孫に謝罪決議を行ないました(2008年)。アルゼンチン、チリ、ウルグアイで軍事政権時代の人権侵害追及や補償が行われています。
戦後補償の問題でも、ドイツーイタリアでナチスやファシストとたたかった人々に対する補償が行われています。ドイツではナチスによる強制労働に対し補償基金が設置され(2000年)、ドイツ企業が強制労働に対する損害賠償金支払いについて企業側と犠牲者との間で最終合意しました(2001年)。また、国家反逆罪に問われた兵士に対する「包括的名誉回復法」を制定しました(2009年)。
韓国では日本の植民地支配に反対してたたかった人びとを愛国者としてたたえ、本人や遺族に年金が支給されています。 アメリカやカナダでは大戦中、日系市民を強制収容所に閉じ込めたことに謝罪と賠償がおこなわれています(1988年)。オーストラリアでも、ナチスに併合されていた時代のユダヤ人強制労働犠牲者に補償を約束しています(2000年)。
歴史の清算でも、戦後補償でも、為政者のほうから与えられたものはありません。犠牲者、関係者の粘り強いたたかいがあり、共感の声が広がり実現しています。
日本の戦後補償は強制連行、強制労働など、多くの問題が法廷へ持ち込まれました。和解したものもありますが、ほとんど原告敗訴、門前払いです。原爆症被害者への補償も対象範囲限定、給付制限付です。いま空襲被害訴訟も行なわれています。シベリア特措法のように政治的解決が図られたものもありますが、問題が山ほどあるままです。
10年3月、日本政府は「韓国出身民間徴用者」約17万人分の供託書副本を韓国側に手渡しました。10年8月、三菱重工業は名古屋三菱女子勤労挺身隊訴訟関係者に交渉に応じる連絡をしました。中国人強制労働の加害35企業のひとつ西松建設が解決金2億5000万円を支払い和解しました(10年4月)。まだほころびができた程度です。これが糸口になるように、日本政府と関係企業は責任を取れと声をあげなければなりません。
補償ではありませんが、10年8月、朝鮮ド室から略奪してきた文化財の一部を「引き渡す」と表明しました。元日本車捕虜米軍兵士代表を外務省が招待して謝罪(10年9月)、オーストラリア兵士にも外務省で謝罪しました(11年3月)。
問題解決の基本は、国内外を問わず侵略戦争と植民地支配の謝罪にあることはいうまでもありません。そのために歴史認識を正す国民の運動を盛り上げていかなければなりません。
むすび
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟のたたかいの基本は人権確立をめざし、歴史認識を正すことです。基本的なたたかいですから、決して容易ではありません。歴史の虚構にしがみつている者だちとのたたかいです。真実の勝利へ向かって前進する壮大なたたかいです。真実は必ず勝利します。
国民的運動にするためには次世代、現役世代の人びとに理解と共感をひろげ、運動を引き継ぎ発展させなければなりません。
正義と真実は同盟が提起しているところにあります。確信を持って、同盟運動を国民的運動へ発展させましょう。
治安維持法弾圧犠牲者たちの志は、日本国憲法に結実されています。しかし、国民の権利は戦後政治の中で制限が加えられ、確立されているとはいいがたい問題も生まれています。格差と貧困も広がっています。日本国憲法を国民のくらしの中にしっかりと生かすことは、第9条を守り抜くこととあわせ、犠牲者の志を受け継ぐ基本的なたたかいです。このたたかいの先頭に立ちながら、同盟運動の発展のために奮闘しましょう。
(国賠同盟・中央本部会長)
治安維持法と現代 2011年 春季号 №21号
More >> 掲載誌「治安維持法と現代」
の運動を国民的運動へ発展させよう
柳 河 瀬 精

はじめに
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、治安維持法(1925~1945)にもとづいて天皇制政府がおこなった弾圧の犠牲者に対して謝罪と賠償を求めています。
戦争に反対し、国民主権確立のためにたたかった治安維持法犠牲者の遺志を継ぎ、発展させるために「ふたたび戦争と暗黒政治許すな」と、「戦争する国」にすることは許さず、人権を確立するためにたたかうことがわたしたちの運動の原点です。
わたしたちの運動は、単に歴史上の問題を振り返るものではありません。未来を展望するたたかいです。21世紀を平和と人権の世紀にしていくためのたたかいです。
平和の世紀をめざす世界のうねりは広がっています。友好協力条約や、EU、東南アジア、南米など平和をめざす共同体が広がっています。日本は日米軍事同盟にしがみついて逆行しています。
人権尊重は世界の流れです。国連人権理事会が委員会から昇格して設置されたのも、世界に人権確立を求める声があふれるようになったからです。歴史上の問題処理もすすんでいます。日本は人権後進国です。
たたかいの基本は、侵略戦争・植民地支配・人権蹂躙の治安維持法弾圧の歴史認識を正すことです。歴史認識を正すことも未来を拓くたたかいです。侵略戦争・植民地支配への謝罪は北東アジアの真の平和を拓く道です。治安維持法犠牲者への謝罪は、人権確立をめざすたたかいです。
いま治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、わたしたちの運動を国民的運動に発展させよう、国民の中に理解を広げていこうと取り組み始めています。
国民的運動へ発展させようという呼びかけは、全国の同盟組織に積極的に受け止められ、どれだけの会員数にすれば国民運動に発展させるためにふさわしいか、国民的運動と言えるにふさわしい国賠署名目標を掲げて運動に取り組もうという組織も、まだ萌芽的ではありますが生まれています。
国民的運動にするとは国民の間に広く理解と共感を得ようということです。国民的運動として展開できる根拠と展望は、歴史認識を正し、人道問題に正面から向きあうところにあります。
国民的運動に発展させるために、同盟の内外で議論を深めていただき、広くご意見をお寄せいただきたいと思います。
人道に対する犯罪は許せない
治安維持法弾圧で実刑判決を受けたものについては、1945年12月29日「勅令第730号」により「刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト見倣ス」とされ、判決無効とされました。これが、治安維持法弾圧犠牲者たちに対して行なわれた、たったひとつの処置です。
虐殺・獄死、拷問・陵辱、令状なしの検挙・家宅捜査、長期の拘留。戦前の刑法でも禁止、違法行為とされていた人権侵害にひと言の詫びの言葉もありません。
「葬式は出してはならん」「墓を建てるな」と脅迫、小学校修了名簿から抹殺、中学校同窓生名簿から除外、結婚や就職、隣近所の付き合いを特高が妨害など社会からの抹殺・排除が図られました。転々と居を移し、弾圧されたことをひた隠し、戦後もおびえたまま過ごした人たちがいます。
塀の中の権力犯罪~国家テロリズムは、人権揉蹟、人権無視でした。国連で「戦争犯罪と人道に反する罪に対する時効不適用条約」が決議され、国際法として確立しています。日本は決議に棄権して批准していません。ドイツでは、ナチスドイツの人道に反する犯罪や行為を追及し続けています。これが世界の常識です。
人道に反する権力犯罪の犠牲者に対する謝罪と賠償を求めます。ただ過去の問題の処理ではなく、将来にわたって、人権が確立されることを求めています。
戦後政治の問題
45年8月15日、日本が受諾した「ポツダム宣言」は言論、宗教、思想の自由と基本的人権の確立を求めていました。
日本政府(東久邇内閣)は「ポツダム宣言」を実行に移す努力を全く怠り、天皇を守ること、天皇制を維持することに汲々とし、治安維持法がなければ天皇制を守れない、天皇制に刃向う政治思想犯など釈放できないと考えていました。この内閣の考えが明るみに出てようやく10月4日にGHQ指令が出されました。
治安維持法は10月15日、治安警察法は11月21日廃止されました。
しかし、治安維持法が悪法であったことを認めず、権力犯罪については口をつぐんだままです。この戦後政治の問題点を見極めておかねばなりません。
1948年にアメリカが対日政策を転換し、侵略戦争を推進した支配層が息を吹き返し、戦犯政治家、復活した翼賛議員が政治の中枢に座りました。人道に反する弾圧の指揮者、執行者であった特高官僚たちも、国会議員となり、あるいは中央省庁の要職について反動政治の推進者となりました。(詳しくは拙著『戦後の特高官僚』をご覧下さい)
天皇のためにすべて従う「臣民」の鋳型にはめ込まれていたものたちは、すぐに呪縛から解き放たれたわけではありません。それは戦前の指導者を、そのまま戦後にも受け入れたことにもあらわれました。
「自分たちは国のためにやってきた」と言う政治家たちは、日米安保条約でアメリカに従属的に同盟しながら、占領政策の是正を言い、天皇主権の回復を願望し、改憲勢力を形成し、靖国派・日本会議の源流が形成されていきました。
天皇主権回復をめざす目標は、時には声高に叫び、あるいはひそやかに行われました。紀元節復活をめざしたのもそのひとつです。元号は明治になって一世一元と旧皇室典範で定めていました。47年5月、新皇室典範で元号の規定はなくなりました。この時点で「昭和」の元号は、規定する法規を失っていました。国民の側で注意を払ったものは残念ながらいませんでした。危惧を抱いた天皇中心主義者たちは元号復活のために奔走しました。昭和天皇が死去したとき、葬儀も、代替わり儀式も、神道行事と国家行事を一体化して政府に行わせるために、死去するかなり前から策動されました。国民があまり気付かないところで、皇国史観派、靖国派たちが策動したのです。
戦後政治の問題点の核心は、天皇中心主義を保持し、侵略戦争だと認めず、植民地支配を美化し、謝罪を拒否し続けているものたちが支配の中心に座り続けたことです。
歴史認識を正すたたかい
歴史認識を正すことは同盟運動の基本です。
日本近代史には、日本政府として歴史的、道義的、政治的に謝罪しなければならない三つの問題があります。侵略戦争と植民地支配、治安維持法弾圧です。
日本が行なったアジア太平洋戦争について極東軍事裁判が行なわれ、戦争責任を問われて戦争犯罪人として処断されました。しかし、天皇の戦争責任は不問とされました。731部隊 重慶大爆撃など不問とされた問題も少なくありません。日本軍性奴隷のように、あとから国際問題化したものもあります。
日本帝国主義の領土拡大、資源獲得の基本的戦略は、陸海軍を統括した大元帥昭和天皇のもとでおこなわれた御前会議で決定されました。侵略戦争推進の責任は明白です。天皇の免責は、戦後政治の根源となります。
国民の側から戦争犯罪を裁かなければなりません。戦争で国民はどれだけ被害をこうむったでしょうか。戦場へ駆り立てられて生命を失った人、原爆や空襲で生命をうばわれた人、財産をすべて失った家族、働き手を失って戦後苦難の生活をしいられた家族。お国のためだ、戦争だったからと我慢し、耐えてきました。いったいどんな戦争を、誰が押し進めたことで、被害をこうむったのか。侵略戦争で民衆がどんな被害をこうむったのかを含め、責任追及の声をあげようではありませんか。
朝鮮半島の植民地支配における、土地取り上げ、財産収奪、略奪、信仰の押し付け、創氏改名など、多数の人権侵害は明白です。
侵略戦争と植民地支配を日本政府が謝罪することは、北東アジアに真の平和友好を築く道を切り拓きます。
ドイツがヨーロッパ社会に受け入れられているのは、ナチスドイツが行った行為について、歴史的、道義的、政治的責任を取り続けることを常に明らかにしているからです。
侵略戦争、植民地支配の責任を認めさせることは容易でないたたかいです。靖国派・皇国史観派・自由主義史観派が執拗に侵略戦争であることを否定し、植民地支配はよいことをしたとふりまいています。
侵略戦争と植民地支配について歴史の真実を学ぶこと、学んで真実を知る人たちを圧倒的な多数にしていく必要があります。
人道に背き、拷問、陵辱をほしいままにし、虐殺、獄死の痛ましい犠牲まであったことを、決して歴史のひだに埋もれさせることはできません。権力犯罪者たちの責任を追及し、厳しい断を下さなければなりません。
世界で進む歴史問題の処理
世界では過去の人道上の誤りの清算が進んでいます。
カナダは一丸世紀に中国人移民を差別虐待したことに謝罪しました(2006年)。イタリアはリビアを侵略して植民地支配したことに謝罪しました(2006年)。フランスはマダガスカルの植民地解放運動弾圧を謝罪しました(2006年)。スペインでは1936年から39年までの内戦と、75年までのフランコ軍事独裁政権による犠牲者の名誉を回復し遺族へ補償を行う「歴史の記憶法」が議決されました(2007年)。オーストラリアはアポリジニ(原住民)への差別と迫害に謝罪しました(2007七年)。カナダでは2000年にインディアン(原住民)に対する謝罪がおこなわれています。アメリカの下院は黒人奴隷の被害者と子孫に謝罪決議を行ないました(2008年)。アルゼンチン、チリ、ウルグアイで軍事政権時代の人権侵害追及や補償が行われています。
戦後補償の問題でも、ドイツーイタリアでナチスやファシストとたたかった人々に対する補償が行われています。ドイツではナチスによる強制労働に対し補償基金が設置され(2000年)、ドイツ企業が強制労働に対する損害賠償金支払いについて企業側と犠牲者との間で最終合意しました(2001年)。また、国家反逆罪に問われた兵士に対する「包括的名誉回復法」を制定しました(2009年)。
韓国では日本の植民地支配に反対してたたかった人びとを愛国者としてたたえ、本人や遺族に年金が支給されています。 アメリカやカナダでは大戦中、日系市民を強制収容所に閉じ込めたことに謝罪と賠償がおこなわれています(1988年)。オーストラリアでも、ナチスに併合されていた時代のユダヤ人強制労働犠牲者に補償を約束しています(2000年)。
歴史の清算でも、戦後補償でも、為政者のほうから与えられたものはありません。犠牲者、関係者の粘り強いたたかいがあり、共感の声が広がり実現しています。
日本の戦後補償は強制連行、強制労働など、多くの問題が法廷へ持ち込まれました。和解したものもありますが、ほとんど原告敗訴、門前払いです。原爆症被害者への補償も対象範囲限定、給付制限付です。いま空襲被害訴訟も行なわれています。シベリア特措法のように政治的解決が図られたものもありますが、問題が山ほどあるままです。
10年3月、日本政府は「韓国出身民間徴用者」約17万人分の供託書副本を韓国側に手渡しました。10年8月、三菱重工業は名古屋三菱女子勤労挺身隊訴訟関係者に交渉に応じる連絡をしました。中国人強制労働の加害35企業のひとつ西松建設が解決金2億5000万円を支払い和解しました(10年4月)。まだほころびができた程度です。これが糸口になるように、日本政府と関係企業は責任を取れと声をあげなければなりません。
補償ではありませんが、10年8月、朝鮮ド室から略奪してきた文化財の一部を「引き渡す」と表明しました。元日本車捕虜米軍兵士代表を外務省が招待して謝罪(10年9月)、オーストラリア兵士にも外務省で謝罪しました(11年3月)。
問題解決の基本は、国内外を問わず侵略戦争と植民地支配の謝罪にあることはいうまでもありません。そのために歴史認識を正す国民の運動を盛り上げていかなければなりません。
むすび
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟のたたかいの基本は人権確立をめざし、歴史認識を正すことです。基本的なたたかいですから、決して容易ではありません。歴史の虚構にしがみつている者だちとのたたかいです。真実の勝利へ向かって前進する壮大なたたかいです。真実は必ず勝利します。
国民的運動にするためには次世代、現役世代の人びとに理解と共感をひろげ、運動を引き継ぎ発展させなければなりません。
正義と真実は同盟が提起しているところにあります。確信を持って、同盟運動を国民的運動へ発展させましょう。
治安維持法弾圧犠牲者たちの志は、日本国憲法に結実されています。しかし、国民の権利は戦後政治の中で制限が加えられ、確立されているとはいいがたい問題も生まれています。格差と貧困も広がっています。日本国憲法を国民のくらしの中にしっかりと生かすことは、第9条を守り抜くこととあわせ、犠牲者の志を受け継ぐ基本的なたたかいです。このたたかいの先頭に立ちながら、同盟運動の発展のために奮闘しましょう。
(国賠同盟・中央本部会長)
治安維持法と現代 2011年 春季号 №21号
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日高の先進に
学びながら Y・K矢
機関紙「不屈」日高の200号達成をお祝い申しあげます。
何かを始め(立ち上げ)それを継続してゆくことは至難の技であり、膨大なエネルギーを必要とします。
日高支部の不断の活動に敬意を表します。私たちの「国家賠償法」制定jという壮大な運動は今は「夢」の途中ですが、夢とは努力次第でいつかは具現化されるものであり、決して「空想」jの世界に位置するものではありません。今は私たちの力量が試されている時期だとおもいます。この崇高な正義のたたかいを同じ方向性を志向する次世代の若者に引き継ぐことが私たちの責務だと考えます。
私たち北支部は日高の先進に学び、連帯しながら困難ではあっても明るくねぱり強い活動を目指す決意です。
(和歌山北支部事務局長)
2011年6月15日 不屈 日高版 201号
2011年6月15日 不屈 日高版 201号

5/22 御坊市平和大行進



2011年6月15日 不屈 日高版 201号
消えた震災俳句
朝日新聞と読売新聞という二大新聞の俳壇欄を見ているとどうも違和感がある。大震災以来、朝日歌壇は震災関連一色と言っていいほど多数掲載されているのに対し、読売新聞にはほとんど見受けられないのだ。例えば四月四日付の朝日俳壇を見ると、
逃げ終えし命を包む毛布かな
人間の覚悟問はるる春の地震
四月十日付でも、
水恐し水の貴し春に哭く
春暁やつくづく電気なきことの
など震災句は多い。対して読売俳壇は四月六日付、十二日付どちらを見てもほとんど見受けられない。朝日は選者が集まって選句するのに対して読売は投稿作品を送り、選句して戻してもらう形をとっているので多少のタイムラグはあるかもしれないが、一ヶ月経っても、というのは変な気がする。これは歌壇欄でも同様だ。元読売社主で、原発の父と言われた故正力松太郎氏の名誉をを守るためなのか。もしそういう意図があって操作しているのだとしたら、ひどい話だ。マスコミとしての良識を問われる。まあ、確たる根拠があるわけではないのでこれ以上は言えないが……。そんなことを考えていたら、おる俳人から相談の電話を受けた。その人はある官庁の機関紙の俳句投稿欄選者をしているのだが、今回提出した原稿を、震災句をのぞいてもう一度書き直して欲しい、と言われたのだそうだ。理由を聞いても、書き直して欲しいの一点張りなので裏事情を知らないかと聞いてきたのだ。まさか今時、言論統制なのか。原発を推進してきた国策を批判されるのを恐れているのか。推測でしがないが、なんとなく今回の震災は別の意味で妙な現象を起こしているようだ。いずれにしても詩歌というのは相変わらず権力から軽く見られている。 (H・S司)
朝日新聞と読売新聞という二大新聞の俳壇欄を見ているとどうも違和感がある。大震災以来、朝日歌壇は震災関連一色と言っていいほど多数掲載されているのに対し、読売新聞にはほとんど見受けられないのだ。例えば四月四日付の朝日俳壇を見ると、
逃げ終えし命を包む毛布かな
岩田 桂
人間の覚悟問はるる春の地震
小林 千秋
四月十日付でも、
水恐し水の貴し春に哭く
手嶋真津子
春暁やつくづく電気なきことの
山口 彭
など震災句は多い。対して読売俳壇は四月六日付、十二日付どちらを見てもほとんど見受けられない。朝日は選者が集まって選句するのに対して読売は投稿作品を送り、選句して戻してもらう形をとっているので多少のタイムラグはあるかもしれないが、一ヶ月経っても、というのは変な気がする。これは歌壇欄でも同様だ。元読売社主で、原発の父と言われた故正力松太郎氏の名誉をを守るためなのか。もしそういう意図があって操作しているのだとしたら、ひどい話だ。マスコミとしての良識を問われる。まあ、確たる根拠があるわけではないのでこれ以上は言えないが……。そんなことを考えていたら、おる俳人から相談の電話を受けた。その人はある官庁の機関紙の俳句投稿欄選者をしているのだが、今回提出した原稿を、震災句をのぞいてもう一度書き直して欲しい、と言われたのだそうだ。理由を聞いても、書き直して欲しいの一点張りなので裏事情を知らないかと聞いてきたのだ。まさか今時、言論統制なのか。原発を推進してきた国策を批判されるのを恐れているのか。推測でしがないが、なんとなく今回の震災は別の意味で妙な現象を起こしているようだ。いずれにしても詩歌というのは相変わらず権力から軽く見られている。 (H・S司)
不屈 和歌山日高版 201号 (2) 2011.6.15発行
、
支へ合う普く生命青葉騒
芝 裕子
ハ十路夏ひきだしいっぱいチビ鉛筆
岩本 健
反減反つらぬく兄の早苗床
山田慈子
一望の植田に風の添いにけり
矢野澄子
九条の甲板かかげ植田中
由井輝子
天皇も歌はぬ国歌でクビの夏
深海龍彦
MRI夏パジャマの柄うつるなり
野田智子
苗代も四角四角の箱となる
瀬戸正男
禍(ま)がつ火を消されぬままに梅雨にいる
池田勝三郎
飲兵衛と知られそら豆どんと来る
谷岡米子
やったねI洗濯日和五月晴
新田知子
若葉風帰れぬ故郷原発禍
東原京子
陸前につづくこの海夏に入る
奥村規子

義損金使わなければ埋蔵金
坂口 隆
何枚も舌抜く閻魔、疲れ気味
不屈 和歌山日高版 201号 (2) 2011.6.15発行
灯台
大阪府の橋下知事が率いる大阪維新の会が府議会に提出していた「君が代」起立強制条例強行可決に抗議する。「君が代」は、1999年に「国旗、国家法」が国会で成立するまで、国歌ではなかった、儀式といえば、御真影(天皇夫婦の写真)に最敬礼、教育勅語奉読(校長)、君が代斉唱、校長訓話、祝祭日唱歌の順になっていた。今残っているのは、君が代だけ。国旗、国家法には、一言の意義も、説明もない。説明できなかったのだろう。天皇白身が「君が代について、「強制にならないことが望ましい」(04年10月28日秋の園遊会での天皇の会話)国旗、国歌法が成立した国会で小渕恵三首相は、「子どもたちの内心にまで立ち入って強制しようという趣旨のものでない」と答弁したのは、「今日も生かされなければならない大原則だ」「君が代」が天童の専制と侵略戦争のテーマソングであった歴史は消すことは出来ない。斉唱時に教職員に起立を強制する条例は憲法の思想良心の自由をおかすもの、前代未聞の暴挙に断固抗議する。(吉)
大阪府の橋下知事が率いる大阪維新の会が府議会に提出していた「君が代」起立強制条例強行可決に抗議する。「君が代」は、1999年に「国旗、国家法」が国会で成立するまで、国歌ではなかった、儀式といえば、御真影(天皇夫婦の写真)に最敬礼、教育勅語奉読(校長)、君が代斉唱、校長訓話、祝祭日唱歌の順になっていた。今残っているのは、君が代だけ。国旗、国家法には、一言の意義も、説明もない。説明できなかったのだろう。天皇白身が「君が代について、「強制にならないことが望ましい」(04年10月28日秋の園遊会での天皇の会話)国旗、国歌法が成立した国会で小渕恵三首相は、「子どもたちの内心にまで立ち入って強制しようという趣旨のものでない」と答弁したのは、「今日も生かされなければならない大原則だ」「君が代」が天童の専制と侵略戦争のテーマソングであった歴史は消すことは出来ない。斉唱時に教職員に起立を強制する条例は憲法の思想良心の自由をおかすもの、前代未聞の暴挙に断固抗議する。(吉)2011年6月15日 不屈 日高版 201号
自民党の総裁候補
危機感あおり改憲を求める

危機感あおり改憲を求める

2011年6月15日 不屈 日高版 201号
「不屈」日高 No1992011.4.15 発行
治安維持法犠牲者
国家賠償要求同盟
和歌山 日高支部
主 な 記 事
署名にご協力ください 「三役会アピール・常任理事会確認」
歴史認識を深め広げるために 「近江谷中央本部副会長発言」
東日本大震災 「自民党秘書のあきれた感覚」
語録 「やめて結構・おそらく廃止」
萌え出でよ 「ものの芽の天地裂くとも萌え出でよ」
灯台 「石原暴言・米倉放言・ムラムラ旋風・二・二六事件・戦争と暗黒政治」
被災地へ希望を詠む 「俳句・短歌・川柳」
朝の風 「我欲?やっぱり天罰?文学者の使命とは程遠い言葉」
日高町への「原発設置を拒んだ」たたかい
不屈文芸 「俳句・川柳」
「不屈 日高」No199 発行 2011.4.15

治安維持法犠牲者に謝罪と賠償を!
署名にご協力ください
常任理事会は、同盟運動が単に過去の問題に取り組んでいるのではなく、未来を展望するたたかいであり、21世紀を平和と人権の世紀にしていくためのたたかいとして、歴史認識を正すことを運動の基本に据えることを確認しました。
いま、地方議会での意見書採択は全国371自治体に広がりました。
4/2 三役会アピール
◎ 気が気でない情勢の今こそ
不屈の出番、国賠署名!
◎ 春の陣 4月が山場→5月連休
4/10日現在600筆あと400筆!
◎ 全会員のみなさん、署名のすんだ人も、まだの人も、5/12の国会誓願日まで、再度5筆以上の署名ををひろげてください!
◎ 昨年5月の閉塞(民主党の迷走、共産党の後退による紹介議員の半減)を打破して新しい日本への足がかりを築きましよう!
◎ 4月本号に再度署名用紙と署名リーフを同封しますので、もよりの役員(吉岡、川村、深海、杉谷、西岡、柏木、山本、山下、畑中)又は御坊事務所まで、お届け下さい。
「不屈」日高 No199 発行 2011.4.15
正しい歴史認識を深め、広げるために
近江谷中央本部副会長発言の要旨
わが国の歴史認識をめぐる最大の問題は、日本が過去に行った「15年戦争」を侵略戦争と認めるか、それとも「自存自衛」「アジア解放」の戦争だったと正当化するのかということ。わが国の戦後歴代内閣は、この侵略戦争を正当化、美化し、今も自民や民主党国会議員などの靖国神社参拝、文科省が侵略戦争を美化する歴史教科書を許可、普及するなどの逆流がある。
このような誤った歴史認識を残した原因は、次の3点にあります。
第1は、「15年戦争」の最高責任者である昭和天皇を免罪したことが、国家責任をうやむやにし、それが歴史の歪曲となり、歴史認識をゆがめることに通じたものです。
第2は、戦後日本の平和的・民主的再建の進路を明確に示したのは日本共産党だげであり、他の政党は戦争推進に協力した反省もなしに党名をかえ、主権在民否定、天皇制存続輪に立っていたこと。
第3は、アメリカが戦争犯罪人を釈放して日本政治の戦犯性を強め、過去の戦争を正当化する重要な要因となっていることです。
歴史の事実に背を向け、侵略戦争を正当化する歴史観。戦争観を許さない国民的合意をつくりあげていくことは同盟運動に直接関わりを持つ課題です。同盟は治安維持法弾圧に屈せず、反戦平和を闘った先輩たちの意志を引き継ぐものとして、歴史の偽造、侵略戦争美化の異常な政治からの転換を要求し、正しい歴史認識を国民のものにしていかなげればなりません。
近江谷中央本部副会長発言の要旨
わが国の歴史認識をめぐる最大の問題は、日本が過去に行った「15年戦争」を侵略戦争と認めるか、それとも「自存自衛」「アジア解放」の戦争だったと正当化するのかということ。わが国の戦後歴代内閣は、この侵略戦争を正当化、美化し、今も自民や民主党国会議員などの靖国神社参拝、文科省が侵略戦争を美化する歴史教科書を許可、普及するなどの逆流がある。
このような誤った歴史認識を残した原因は、次の3点にあります。
第1は、「15年戦争」の最高責任者である昭和天皇を免罪したことが、国家責任をうやむやにし、それが歴史の歪曲となり、歴史認識をゆがめることに通じたものです。
第2は、戦後日本の平和的・民主的再建の進路を明確に示したのは日本共産党だげであり、他の政党は戦争推進に協力した反省もなしに党名をかえ、主権在民否定、天皇制存続輪に立っていたこと。
第3は、アメリカが戦争犯罪人を釈放して日本政治の戦犯性を強め、過去の戦争を正当化する重要な要因となっていることです。
歴史の事実に背を向け、侵略戦争を正当化する歴史観。戦争観を許さない国民的合意をつくりあげていくことは同盟運動に直接関わりを持つ課題です。同盟は治安維持法弾圧に屈せず、反戦平和を闘った先輩たちの意志を引き継ぐものとして、歴史の偽造、侵略戦争美化の異常な政治からの転換を要求し、正しい歴史認識を国民のものにしていかなげればなりません。
「不屈」日高 №199 2011.4.15 発行
東日本大震災自民党秘書のあきれた感覚
東京・杉並区 近藤秀雄(74歳)
いつもにように駅で震災地の募金を訴えていると、自民党の国会議員の秘書が通りかかり、「この時期にやっていて文句を言われませんか」と話しかけてきました。全く意味がわかりません。
この時期だからこそ、やっているのに。しかも、「文句を言われる」どころか、「ごくろうさま」「ありがとう」「がんばってね」などの励ましや感謝の言葉をかけられるのです。
その秘書の感覚では、選挙目当てのパフォーマンスにうつるのかもしれません。
他党派の区議候補は、地震発生後、パタリと姿をみせなくなりました。被災地への心遣いではなく選挙活動自粛をアピールしているのでしょう。
「いっせい地方選挙の全国的延期を」という共産党の提案を退け、選挙の強行を選んだ各党は、なんと第一声を自粛したというのですから矛盾も甚だしいではありませんか。
「不屈」日高 №199 2011.4.15 発行
語録
(やめて結構) 4/5
「個人的には、法人税減税をやめていただいて結構だ」(米倉弘昌日本経団連会長)=28日の記者会見で、東日本大震災の被災地復興の財源に関して、法人税減税の取りやめも容認するとの見解を表明。
(おそらく廃止)
「海水を注入した状況を踏まえれば、そそらく廃止にせざるを得ない」(勝俣恒久東京電力会長)=30日の記者会見で、過酷事故を起こした福島第1原子力発電所1~4号機を廃炉にする方針を明言。
(やめて結構) 4/5
「個人的には、法人税減税をやめていただいて結構だ」(米倉弘昌日本経団連会長)=28日の記者会見で、東日本大震災の被災地復興の財源に関して、法人税減税の取りやめも容認するとの見解を表明。
(おそらく廃止)
「海水を注入した状況を踏まえれば、そそらく廃止にせざるを得ない」(勝俣恒久東京電力会長)=30日の記者会見で、過酷事故を起こした福島第1原子力発電所1~4号機を廃炉にする方針を明言。
「不屈」日高 №199 2011.4.15 発行
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