山形県山元中学校二年生の「山びこ学校」(無着成恭編 一九五一年)は、戦後教育関係の本で最も読まれた一冊だろう。
そこで、同書の次の綴り方をどう読むか、紹介してみたい。江口俊一の「父の思いで」。彼が父の遺骨を引き取りに行った場面を引いてみる。
「四年前『お国のため、天皇陛下のため、しっかりたのみます。銃後の守はひきうけました。留守宅は心配しないように』といって父を戦争に送ってやった人たちだ。それが今では『戦死者の遺家族』などというとめいわくそうにしている。」
よみがえる『山びこ学校』の意義。
これは戦時か体験を綴ったものだ。もう一つ紹介したい。無着は、翌五十二年、ある農家の囲炉裏場で、石川達三著『生きている兵隊』を取り出し、中国人を虐殺する描写を読み聞かせしている。それを聞いていた、中国大陸で二度の戦線を経験した父親「ほんとうなんだ。ほんとうなんだ。』とおいおい泣き出したことを書いている(「平和への教育ノート」『教育』五二年七月)。
無着や子どもたちは、戦争に向き合って綴り方に取り組んでいた。山元村は多数の満州開拓団員を送り込んでいた。そのような歴史を背負った村で、子どもたちは生きていた。
『山びこ学校』の意義をこの視点で考えてみる。戦後六十年の今こそ、戦争と平和の問題で。そう思えてならない。 (凜)