番組改変事件10年/NHKの明日へ 中
フォーラムで テレビに絶望してほしくない
2000年12月の女性国際戦犯法廷には、海外から95社が取材に訪れ、イギリスのBBCやフランスのル・モンド紙など、多くのメディアが連日ニュースにしました。開催地の日本では、真正面から取り上げたのがNHKのETV2001「問われる戦時性暴力」(01年に教育テレビで放送)でした。その番組が自民党幹部の圧力を受けて改変されたのです。番組が放送されてちょうど10年となる1月30日、市民、研究者の団体「放送を語る会」が、「日本軍『慰安婦』問題の現在とメディア」をテーマに、第40回放送フォーラムを都内で開きました。
戦争加害の問題から
講演したのは元NHKディレクター・池田恵理子さん。「戦争責任をどう取るのか、『慰安婦』問題が解決しない現実をどう変えるか。そういうことを考えるとき、抑圧の構図をこの番組改ざん事件は政治家の名前までもはっきりと明らかにした、まさに画期的なものでした。戦後、日本が避けてきた戦争加害の問題から見直していく重要性を感じます」と強調しました。
講演の中で、池田さんが自ら作成した20分のドキュメンタリー「私たちはあきらめない」を上映。このドキュメンタリーは日本政府に謝罪と補償を求める「慰安婦」たちのたたかいや、NHK番組改変事件をめぐる一連の動きなど、女性国際戦犯法廷からの10年を振り返ったものです。
在職中も活動
池田さんは73年にNHKに入局。昨年NHKを定年退職しました。ETV特集「シリーズ~50年目の〝慰安婦〟問題」(95年)など、「慰安婦」を取り上げた八つの番組を制作しました。97年に「慰安婦」の証言を映像で記録する女性グループ「ビデオ塾」の活動を開始。98年から「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(バウネット)」の運営委員に。2000年の女性国際戦犯法廷はバウネットが主催したものです。
バウネットは01年7月に、NHKを相手に番組改変問題で提訴。池田さんも原告として裁判をたたかいました。「被害者は高齢になり、あと数年したら誰もいなくなってしまいます。戦後補償問題で、苦しみぬいているところです。しかし必ず不正義は滅びて、いつか歴史がきちんと正しいことを証明してくれると信じています」
NHKに対して、「過去にNHKが放送した番組には、ものすごい番組がいくらもあります。少数であってもいい番組をつくっている人はいます。まだテレビに絶望してほしくありません」と、池田さんは語りました。
自分の痛みとして
フォーラムでは、ETV2001「問われる戦時性暴力」を担当した元NHKプロデューサーの永田浩三さんが発言しました。
岡本喜八監督の映画「独立愚連隊西へ」(1960年)の一部を上映。慰安所に日本兵が駆け込むシーンなどを見ながら、「慰安所を日本軍が管理していたことは明らかです。『慰安婦』問題は日本軍の責任を問うことでもあります」と指摘しました。
「慰安婦問題がなぜ解決しないのかには、いろいろな理由があります。日本人が自分の痛みとして、こんなひどいことを放置していてよいのか、と問い続けないといけないと思います」
女性国際戦犯法廷
2000年12月に東京で開かれた民衆法廷。日本軍の性暴力を裁く目的で、韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本の七つの人権・市民団体が、国際実行委員会をつくって主催。日本政府と昭和天皇が有罪に。
……参加者の発言……
〇…NHKの番組は私たちの受信料で作られている。改変された「ETV2001」も、アーカイブスに当然入れて、視聴者が見られるようにするべきだ。「慰安婦」の問題は過去の話と言われるが、紛争下の女性への性暴力は、現代もコンゴなどで問題になっている。世界とつながる大きな問題として扱ってほしい。
〇…戦争中、飢えていた私は、マスコミのカメラマンが、ご飯をいっぱい食べている少年兵の写真を撮っているのを見て、早く兵隊に行きたいと思った。昔も今もマスコミの影響は大きい。マスコミは国民を不幸にするものであってはならない。
〇…NHKにもがんばっているスタッフがいる。その人たちを激励するために、番組を見て、放送局に毎回感想を言おう。頑張って、よかったよと言うのは視聴者の権利。自分ができることを作り出してやっていこう。
2011年02月02日 しんぶん「赤旗」