有田市初島沖の海底で5月に発見されたアメリカ軍戦闘機P51の写真や資料が、7月22日(金)から7月24日(日)まで、和歌山市北出島のプラザホープで開かれる「2005年平和のための戦争展わかやま 終戦・被爆60年―守りつづけた平和さらに未来へ」で紹介される。
戦争展は1990年から毎年開いており、今年が16回目。実行委は以前から、地元和歌山の戦争について知ろうと、県内の戦跡調査を進めている。
9年前、初島の山中に終戦間際の1945年7月29日に投下された模擬原爆「パンプキン」について調べていたところ、地元の人から、「地ノ島沖に戦闘機が沈んでいるのは知っているか」と聞かれた。さらに漁業関係者から「戦後すぐ、飛行機の破片が底引き網に引っ掛かってきた」「機体らしきものを見たことがある」などの話を聞くことができた。
墜落したのは初島沖にある地ノ島の西側、水深約10メートルの場所。早速、現場を探したが、透明度が低く、機体は確認できなかった。
一方で、GHQの資料などから、操縦していたのはウイリアム・メリット大尉と判明。長崎に原爆が落とされる前日の8月8日、紀伊水道の漁船を攻撃しようと低空飛行した際、誤ってプロペラが水面にあたり墜落した。遺体は広川町唐尾で見つかり、メリット大尉の墓は今も湯浅町内に残っている。
「お墓があった。落ちた時の状況も分かった。戦後60年の節目の今年、何とか機体を見つけたい」(同展実行委、中北幸次さん)と、潜水会社に依頼。5月7日、金属探知器などを駆使し、岩の間に挟まったP51のプロペラとエンジンを確認した。このほかの部分は潮に流されたと見られる。
中北さんは「イラク報道などでは戦争は遠いところの話に聞こえるが、日本でも戦争があったことを知ってほしい。歴史を認識する一助として、子どもたちの教材として活用したい」と話す。今後、機体を引き揚げる会を立ち上げる考えだ。
戦争展は午前10時(初日のみ午後1時)から午後5時まで。P51のほか、「ヒロシマ原爆被害」「戦時下のくらし・軍隊」などをテーマに資料を展示する。また、7月24日午後1時半から、シャンソン歌手の堀田さちこさんの平和コンサート。さらに郷土史家の中村隆一郎さんが米軍機墜落、医師の古田光明さんがNPTについて話す。問い合わせは同展実行委(073・474・8640)。
(写真=岩の間で見つかったプロペラ〈中北幸次さん提供〉)
ニュース和歌山 2005年7月20日(水)号