知事の「戦争責任」について思うこと O N子
『県民の友』8月号に、「戦争責任」というタイトルで知事メッセージが掲載されました。書かれているその内容は、多くの人の命を奪い、幸せを踏みにじった戦争の責任は、当時のすべての国民にその責任があるというものです。
一般国民と戦争指導者達とは責任の重さは違うと言いながら、万歳で戦地に送り出して行ったことや、教育現場での軍国教育などを引き合いに出し、戦争を推奨した国民、そしてその国民が敗戦後はころりと変わったことを批判しています。
私は知事と同世代の人間として戦争の歴史認識の違いに驚くと同時に、公人としての見識のなさに憤りを感じます。
今も鮮烈に覚えていますが、小学校3年生の時のことです。大変体格の立派なこわい顔(子どものときの印象)をした男性の先生がいました。その先生から、授業の中で中国大陸での日本兵がどんなに酷いことをしたか、そうしないと自分が生きていけなかったことなどを聞きました。子ども心に戦争への恐怖が頭にこびりついてしまいました。家には一〇代で戦死した伯父の写真が飾られ、日頃から目に入ってきます。本当に万歳といって家族は送り出したのでしょうか。母にとってはたった一人の兄で、よくお墓参りについて行きました。
手を合わせている母の姿が妙に印象に残っています。知事には戦争反対という気持ちを押し殺さなければいけなかった国民のことや、戦争に反対し特高に虐殺された人々のことは眼中にないのでしようか。
憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し……」と述べられています。政府の行為によって起こった戦争として捉えるのが本来、公人としての基本的立場のはずです。知事の資質が問われる問題です。
議会においてもさらに認識を質し、憲法に基づいて県民が主人公の県政となるように力を尽くして参ります。 (会員県議会議員)
不屈 和歌山県版 No.242(4) 2011/10/15