近現代史学習会
第3回ニュース
(2013. 3.16)
一回の学習会で一つは覚えて帰りたいと思いますが覚えるのがどうも苦手です。学ぶことは楽しいです。
歴史上での大きな出来事が政治的にどう影響するのか楽しみです。質問―この頃活躍した人物がどんな考えを持ちどんな活動したのか詳しく知りたい。
和歌山でも粉河の戦いで近隣県に広がったことなどの歴史をしって良かった。
明治に入り憲法研究が各地で盛んになった事がわかります。五日市憲法は五日市町で教員をしていた千葉年三郎たちが創ったと知り若人たちが意気高く日本の将来を考えていた事に感動を覚えます。
みなさんの質問とそれの回答も大変勉強になります。怒りを運動にしていくことは大事なことです。現在も同じです。
福沢諭吉が帰国してから日本に学問が広められ教育制度が出来、憲法草案が起草されて明治政府が樹立していくところは大変興味深くおもしろい。
「前回の質問に答える」 は新しく知を豊かに出来ました。①明治維新政府の性格の位置づけが正確につかめないでいます。クーデターによる臨時政府的なものから正式な手続きを踏んだものと見えるが?
②政府の構成をいまの政府機構と対比して説明して頂ければわかりやすいかな?
「建白」窓口を作っているのは政府中枢自身が現政府を未完の物と認めているのか?とも見える。
ほんの150年前の歴史を自分の不勉強はさておいて新鮮な気持ちで聞いています。こうして歴史は作られていくのですね。2年間の学習だからもっとゆっくりでもいいのでしょうか?雑談(?)もすこしあってもいいのでは。次回までに本を開こうと思うのですが一ヶ月に一回しか開いていません。沖縄の学習も楽しみです。
テキストを読む方はもっと大きな声で読んでほしい。
士族中心の流れに豪農層、都市知識人が加わってとあるのを知って士族は、地位、知識がちゃんとと補償されていたのだなと感心した。
一人で読んでいたら気がつかぬことを質問などから気付かされ嬉しいことです。だんだんと内容が複雑になり面白くなったり自分の知識のなさを反省したりしています。
初期の新聞は政府批判が強かったようだが弱体化したとはいえ今でもその思想は受け継がれている部分はあるのか。(企業のコマーシャルが採用されて変質したのだろうか)
今月話しの中に粉河騒動の事がありましたが今後の勉強のなかで地元和歌山の動きがどうだったのかなど深めていったら身近なものになっていくと思います。
自由民権運動の一人板垣退助の動き(参議を辞職、愛国者を創設、政府の対応受け入れず)などが根本的によく解らない。次回復習の中で教えてほしいです。
我以外皆講師。質問疑問点自分の意見、感想出し合い深めていきましょう。発言は挙手して端的がいいと思う。
福沢諭吉のもう一つの評価(否定的)も知りたい。次回説明して頂ければ幸い。
今回はとても勉強になりました。
頭がボーとして眠たかった。3時まで勉強して30分ほど質問に当てたらよいと思う。
「建白書」が出てきたがこの意味を詳しく知りたい。1月29(火)に沖縄の全首長が安部首相に手渡したのも「建白書」となっていたと思う。確か沖縄返還のときに「建議書」が用意されていたが提出されずにおわったとか。「建白書」はどのようなときに提出されてきたのか知りたい。
高知の植木枝盛の思想(国民の権利と自由)が(P31)明治時代にあったとは驚きです。何の影響でしょうかもう外国のいろんな考えが日本に入ってきていたのでしょうか。
質問に答えてくれた岡本講師さんは、前に座っていただいたらよく聞こえると思います。
次回(第4回)のお知らせ
日時 4月20日(土)
午後1時半~3時半
場所 あいあいセンター3F第2会議室
テーマ「明治憲法公布から日清戦争へ」
*会場費として150円のカンパをいただいています。
(治安維持法国賠同盟
和歌山市3支部)