全会員活動で全会員署名運動を
現段階の情勢討議を弾みに、昨年後半10名拡大という10年ぶりの快挙(?)。
今ひとつ不明確であった同盟独自の要求との関連は何なのか。自民党タカ派の壁は厚く、民主連合政府ができるまで無理ではないかという消極思想。心が痛むこの数年、選挙戦における革新政党後退とその原因。迫りくる憲法決戦をいかに闘うべきか。
今、百合子、多喜二の言葉がよみがえる。「平和は眠りを許さない」(百合子)「何をなすべきかではなく、今いかになすべきか」(多喜二)。
「不屈」中央版1月号の巻頭を飾った小森香子氏の詩「遺す言葉」が心を鞭打つ。「・・・今の憲法を書いたのは誰だ」と。
自らが書いた憲法を“敵”の手に渡すわけには絶対にいかない。
安保闘争の数倍の力で闘わねばならぬとき、志位委員長は社民党に憲法闘争での共闘を申し入れた。当然である。
福島党首の応答、「自分たちは、院内外での両党の共闘についてためらいは一切ありません。障害はありません。」にさすがの志位さんも一本とられた形。
同盟の「謝罪と国家賠償を求める」要求は、憲法前文の「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起こることのないようにする決意」として政府の胸元につきつけられた匕首である。
支部幹事会は、会員自らの署名が1~2割どまりの現状を変えるべく、この2~5月、全会員署名運動を全会員訪問で展開することを決定した。「量より質」「人は石垣、人は城」
日高支部 事務局長 F・T
不屈和歌山県版 174号 2006.02.15
遺 す 言 葉
小 森 香 子
覚えておいてほしいの
私が少女だった頃
父達も若者も戦場にかり出され
殺し殺され
日の丸振って見送った駅に
空の骨箱で戻り
毎夜
列島の空は燃え
火の雨が降りそそぎ
街も港も学校も病院も
見さかいなく焼かれた
忘れないでほしいの
その人たちの血潮で
日本国憲法が書かれたこと
その九条の精神を
侵略戦争反対を叫んで牢獄に捕われ殺された
日本共産党員が主権在民を主張しつづけたことを
戦争をしない国を守るのは私達自身なのだから