とめよう ”戦争” Y・Y助
60年前の私は、年齢が届かなかったことと体も小作りで、軍人志願を何回繰り返しても採用されない軍国少年だった。
和歌山、奈良県内で空襲、機銃掃射には数え切れない経験があり、もうこれまで、お陀仏が何回あっただろう。
残酷に殺された現場に遭遇したのは、和歌山大空襲。御所駅構内の機銃掃射。なかでも江住駅停車中の旅客列車、新宮行きへの銃撃による死傷者十数人救出を銃撃直後に同駅に到着した我々が手伝うことになった。客室内の死者以外は軽傷のために駅近くの医院の手当を受けた。
死者の2人は、若い母親が幼子を体でかばったいるのを背中から打ち抜かれている用で、幼子の足だけしか確認できない惨殺体となった。血の海のなかの「母と子」。布の名札に「切目村、山下」
「不屈 日高版」 №143号 2006年9月15日発行