九条噺
久間防衛大臣が「米国の原爆投下はしょうがない」と発言し、辞任に追い込まれた。核廃絶の先頭に立つべき日本の大臣の「理由によっては原爆を使用してもいい」ともとれる発言は論外であり、辞任は当然である
▼問題は、久間氏の辞任の弁は「選挙の足を引っ張るから」というもので、反省の言葉が全くないことである。ということは、発言は自分の本心だということだろう
▼「米国の考え方を紹介したもの」と全く問題にせず、「産む機械」や「ナントカ還元水」に引続き、かばいつづけた安倍首相の任命責任はさらに大きいと言わなければならない
▼マッカーサーは「自分は原爆投下を聞いていなかった。聞いておれば、『日本は降伏の準備を進めており、投下は必要ない』と言っただろう」と語ったという。「米兵の命を救い、戦争を早く終らせるため」という原爆投下の正当化論には何の根拠もない。「あれで戦争が終った」という久間発言は米国に追随し、国際法違反の非人道的兵器を容認するものだ
▼7月10日、政府は原爆投下に対して米国政府に抗議を行ったことは一度もないことを公式に認めた。「河野談話」や「村山談話」を継承すると口で言うだけで、侵略戦争のまともな反省をせず、米国に抗議もせずに、擦り寄る安倍政権は、集団的自衛権の行使を認め、米国と一緒になって戦争をするために、非核3原則をも投げ捨て、日本の核武装すら実行するのではないかという不安がますます強くなるのである。(南)
2007・08・05 「九条の会・わかやま」42号(1)