涙とともに見たもの、見るべきもの
同盟40周年の春
「母べえ」月間の総括 同盟日高支部
1月26日から始まった「母べえ」の上映も3月14日で終了した。
この間、日本国民は涙の総見で「母べえ餅」も売り出され、特高役を演じた俳優の「一度観たからにはもう一度観ないと逮捕しますぞ!」というパンフまで登場するさわぎになった。この月間が小林多喜二没後75周年、3・15大弾圧と「赤旗」創刊80周年の2月と重なったことも意義深いことだった。
なるほど名セリフ。名場面は一度見ただけでは見尽くすことができないほど、山田監督のいきごみが伝わってくる映画である。
たとえば原作の父べえは心ならずも上申書を書かされて釈放されるが、映画ではたった一片の死亡電報で獄中死させている。
おそらく監督には治安維持法で犠牲者となった人々への、消すことのできない記憶としての思いがあったのであろう。(虐殺80人以上、獄死1671人、送検7581人、実刑5162人、20年間の逮捕数十万人)
この映画のような幾万の母べえがいたはずである。
本来、国が調査して、日本国憲法からしても、犠牲者への謝罪と賠償を行うべきであるのにそれが放置されている。
自民党タカ・派靖国派がいまだに「悪法も法は法」「治安維持法は廃止されてすんだこと」とすることは断じて許されない。
日本国民がこの映画を涙とともに見たもの、また見るべきものは何だったのか、総括が問う基本テーマはそこにある。
戦争は外敵と戦うだけでなく、自国の国民に対する「戦争」でもあったのだ。
映画は家族物語り、手紙物語りを通じて、このことを告発し、観客は、老若男女それぞれに体感し想像して涙したのだ。
山田監督は語っている。
「父べえたちを非人間的に迫害したその罪の責任を誰もとろうとしない。優しい母べえは戦後何十年もそれを胸の中に、納得できないこととして抱き続けていたというのが、まあ、この作品のメッセージでしょうか」と。
戦争の責任を問わず、戦前の精算を行わず「あの戦争」「不幸な出来事」などと言ってすまそうとする情況に対して、渾身の一石を投じた鋭い発言ではなかろうか。
この映画はトップシーンで、特高が土足で家にふみいり、逮捕状もなしに、逮捕、連行する場面を基調として始まる。
戦争の法的武器であった治安維持法が、母べえの名の映画となって、国民の前に姿を現した瞬間である。
われわれはいま、治安維持法犠牲者に対して「命がけで闘った」とか「誇りある歴史」のどという言葉でサラッと通るのではなく、もう一度深い思いで、志をいかに受け継ぐかを問いなおすべきであろう。
同盟は昨年の中央大会後、新役員が日本共産党を訪問し、要請を行い、対応した緒方副委員長から「靖国派の侵略戦争を正当化する異常を打ち破るたたかいで、治安維持法での弾圧の体験をふまえた同盟の運動はたいへん大きな意義をもっています」と激励され、「ドイツ、フランスなどとくらべ、日本政府の弾圧犠牲者に対する対応のおくれを厳しく指摘」して「大いに協力したい」と心強い回答を得た。
ことし同盟創立40周年を迎えて、「母べえ」によって、その正確さが検証された、私たちの運動の基本、
”再び戦争と暗黒政治の復活を許さないために”
1 治安維持法体制の復活に反対する。
2 国は戦前の治安維持法が人道に反する法律であったことを認めること。
3 国は、治安維持法の犠牲者に謝罪と賠償をおこなうこと。
に不断に立ち返り奮闘すること。
日高支部も、「母べえ」チケットを目標をアップしながら、100枚完売し、月間の成功に一定の寄与ができたことを付記して総括とする。(3月3日支部幹事会)
2008年3月15日 「不屈」 日高 №162号